2008/12/20
2008/10/09
[新聞] ドイツは手堅い
A Sound Banking System Amid European Turmoil
by Tom Gjelten
(NPR All Things Considered, October 9, 2008)
ドイツのSparkasseとは、各州の信用組合。各州のSparkasseが全国ネットワークをなしているので、ドイツ中どこでも、引き出し可能である。生活感覚でいうと、郵便貯金のような感じかもしれない(Postbankというのはまた別にあるのだが)。
この各州のSparkasseは、今回の金融危機にもちっとも動じていないという。というのも地元の企業や家主など、手堅いローンしか行わず、New Yorkの変な紙には全く手を出さなかったらしい。もちろん利率はそこそこだが、こんなご時世でもきちんと利息が付く。
こういう手堅さから、今世紀初頭ののアメリカ凋落後は、ドイツあたりが意外と生き残れるかもしれない、という気がする。アメリカの若い実験屋も、Max Planckをはじめとする欧州の研究所に移る人が後を絶たないのも、無理もない。そういえばヨーロッパ人でアメリカ留学後にアメリカ滞留する若手も、減っているような気がする。
DAX, Dow Jones, Nikkei Average 225の比較
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/08/24
[ドイツより] Wollen wir uns nicht duzen?
最近病院研修と付随する自宅学習で早朝から夜まで忙しいのだが、長期・短期は別にせよまたドイツに戻ることは明らかなので、いろいろ読んだりドイツ語の勉強も何とか細々と継続している。来年夏に数ヶ月間戻るあたりまでには、再来年から、長期的にドイツに滞留する覚悟があるかどうかを、一応決める必要があるのだ。
で、二人称代名詞の親しいduと丁寧語のよ うなsie。以前は公私の境目をはっきりさせる気質から、職場の同僚は永年勤めてもsie同士だったというが、最近ではだんだんinformalになってきているという。共産圏の東ドイツでは、このduへの転換がより進んだと本には書いてある。Meine lieber Genosse(親愛なる同志!)はduということであろうか?中国語の你と您(丁寧)というのも似た事情があるのだろうか?
いずれにしても、研究所は初日からいきなりduだった。
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/07/26
[新聞] Made in Germanyの中国製品
Chinese Cargo Firm Buys German Airport
by Brett Neely
(NPR All Things Considered, July 25, 2008)
東ドイツ、ベルリンのちょっと北に位置するParchim空港。中国の運送業者により、買収されるそうだ。
中国に進出したドイツ企業が、ドイツに引き返しているという話も以前あった。燃料費の高騰もさることながら、中国人労働者は少しでも高い給料の会社があるとすぐに転職してしまい、よって研修などの初期人件費が馬鹿にならないという。
が、本題の空港買収の本意はその逆で、中国からドイツに製品を送って最終工程を行い、Made in Germanyのラベルを付して売ろう、というものだ。中国人はたいしたものだ、3000年間東アジアに君臨しているだけのことはある。
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/07/20
[旅日記] 小旅行2008 ベルリン(c-5) 付、Alexanderplatz
壁沿いを20km以上歩いておいて、まだ歩き足りないのか、帰りはまだ時間があったのでベルリンのもっとも古い街並である、Alexanderplatz付近まで電車で戻って、ぶらぶらした。
アレキサンダー広場とマリエンヌ教会。舞姫の出会いの場。
鴎外もゆかりのこのベルリン旧市街、文教地区らしい。ニコライキルヒの裏手には豆本屋があったが、幸い、日曜で閉店していた。開いていたらきっと、読めもしないドイツ語の豆本を購入する羽目になっていただろう。
ベルリンの壁紀行・目次
1. 涙のフリードリヒストラーセ駅
2. 落書きの上に落書き
3. ベルリン中心の空き地
4. 歴史を背負う
5. (付、アレキサンダー広場)
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
[旅日記] 小旅行2008 ベルリン(c-4) 歴史を背負う
今週はHamburgの学会に行ってきました。先月のベルリンの壁については、いろいろ感想を書きたかったのですが、次が支えているので無理矢理終わらせます。
壁は、ナチスの特高本部跡地をも横切っていた。発掘後、SSの資料館ができるという。
有名な国境検問所の一つ、Checkpoint Charlie。検問所跡のすぐ隣のビルにたつ資料館も含め、ここだけ観光客でひしめいていた。ヨーロッパかぶれなのだろう、デカイ声で月並みな感想を叫んでいるアメリカ人同胞たちに、妙な嫌悪感を感じる。
ベルリン首都移転後の霞ヶ関のようなエリアは、ちょうどSpree河をまたぐ国境帯であった。新政府ビルの一階ロビーに、壁を正確な位置に再現した展示があり、壁による犠牲者の数がペンキで塗ってあった。
壁は墓地にも平然とふみ込んでいる。プロイセン時代からナチス時代にわたって公式墓地として使われていたらしいが、60年代には壁と関連施設(監視塔、兵舎など)敷設のため、墓地の1/3以上がつぶされたという。墓地の片隅に建つ、軍医・医学生記念碑。Scientiae Humanitati Patriae、科学 人類 祖国(?)だそうだ。
壁は人々の生活などお構いなしに、たてられた。ベルリン市の地下鉄路線も壁により分断された。この北駅(Nordbahnhof)は、主に西側を走る路線がちょっとだけ東ベルリンを通過する部分にあたり、東ドイツ当局により封鎖されていたという。だから、西ベルリンの通勤者は毎朝、東ドイツのホーム警備兵を車窓から眺めながら、この無人駅を通過していたらしい。
今回の散歩の終着点、北のBösebrücke。東西ドイツ国境で最初に崩れたのが、この検問所であり、当時の資料映像などにも喜び狂うベルリン市民の背景としてよく登場する。国境が開放されたきっかけは、政府の高官が記者会見で間違った紙を読み、それを聞いた東ドイツ市民が国境開放と解釈して検問所に殺到し、警備兵が対応しきれなくなったのだ。歴史の転機が一端醸成すると、ちょっとしたきっかけで激変する。
ベルリンの壁、参考サイト
ベルリン市の壁情報... 調べた限りでは、最も充実している。
Wikipedia(日本語)... 上記では、歴史的な流れはつかみにくいが、日本語よりもドイツ語や英語のWikiのほうが、数段できがよいようだ。
日本人による、壁崩壊直前の個人写真ギャラリー... 古い壁の写真がこうまとまってたくさん観られるサイトはほかに見当たらない。歩いてからこのサイトの写真を見直すと、どこの写真だかが大体わかり、実感が強まる。
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/07/10
[旅日記] 小旅行2008 ベルリン(c-3) ベルリン中心の空き地
いい加減、ベルリンの壁紀行(もう一ヶ月近く前)のメモをまとめなければならない。帰国一ヶ月を切り、まとめられる仕事のまとめと、一緒にやっている院生がしばらくは心配なくのびのびと経験をつめるように、機械などの手入れや雑多な体制完備に追われ始めている。そして、宙ぶらりんになっている仕事は、彼に止めを刺してもらわねばならなくなりそうだ。
なかなかうまくとどめがさせずにあるプロジェクトが2.5個。どれも脳科学に革命を引き起こす可能性を秘めており、そのひとつでもうまくまとめられれば、今のような経済状態が続いてももどこかしらでは独立して自分の研究室を持てるさせてもらる、確かな足がかりだ。まあ革命がそんなに簡単なら、革命ではない、つまり、ここは踏ん張りどころ。まあ、鴨が葱をしょってまたこの地に帰ってくることはほぼ確定したので、その意味では計画も立てやすいのだが。
View Larger Map
本日の写真のローケーションは黄色
ベルリンの壁沿いを歩いていると、まだまだ、国境帯が空き地のままになっていたりする。徐々に政府の建物やら、商業地やらとして、まるで培養細胞を部分的にこそげ落とした後のように、両側から建物が侵食しているが、それにしてもまだまだ、ベルリンの中央を傷跡のように断裂している。

こんな公園も、実を言うと国境帯だった。
Bundesdruckerei、国家印刷局。旅券・通貨・切手、手持ちのビザなどもここの印刷。とはいっても、民営化されているらしい。しかして今回のドイツ滞在は、人生経験。ビザなんて初めてだもので、こないだの1年目の更新ではうっかり市役所の窓口時間を間違えて、1日送れて手続きをすることになってしまった。1日間、不法労働をしたことになる。
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/07/07
[実験屋日記] 嬉しい話
来月にはアメリカに戻って臨床実習を再開しなければならないのですが、ちょうどその折、Humboldt財団の研究員に内定しました。Humboldt財団は外人招聘のためのドイツの半官財団で、現在の研究所にいながらにして(政府)から給料と少しばかりの経費が出るというものです。メディカルスクールは適当に、うまく研究員の規定を満たしながらやっていけないか、画策を始めました。
やっぱり人生一度しかないので、MDの学位は取るにせよ医者の方は適当にして、当面は研究に掛けることを心に決めた矢先だったので、特にうれしい話です。つまり、大学医学部の事務方(教授会 1)に対しても、カリキュラムの融通を利かせてもらう言い訳ができました。
1. そんなものはアメリカにはないのだが
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/07/06
[ドイツより] Konnichiwa!
友人夫婦と食事の約束をしていて、路面電車でレストランに向かう途中。途中駅で駆け乗ってきたやんちゃ坊主二人組み(小学校中学年くらい?)が隣に座ったと思いきや、一人が一生懸命「nǐhǎo、nǐhǎo」と話しかけてきた。中国語で返そうかとも思ったが、多分無意味なので、一応ドイツ語で「私、中国人ではないアルネ」といったら「じゃあ、ヴェトナム人?」「Nein。私、日本から来たアルネ」「じゃあ、konnichiwa! konnichiwa!」。
気が済んだみたいで、二人でなにやら雑談し始めたと思ったら、「...だって中国人は、こんな感じで目が釣りあがってるでしょ...」とか、お互いに顔に手を当てて、アジア人談義を始めたらしい。まったく悪気なく話しているし、なんだか、ボストンの小学校時代に「目が何とか」とかいっていじめられた思い出がよみがえって、笑みを浮かべずにはいられなかった。
それにしてもこういう無邪気な少年たち、いまどき、アメリカや日本にもまだ生息しているのだろうか。
街中の市場前駅に着こうとする直前、またなにやら二人で顔をつき合わせて相談している。結論が着かなかったと見えて、こちらに向かって「日本語でチュースはなんていうの?」と訊いてきた。「Sayonara」と教えたら二人で喜んで「サヨナラ、サヨナラ」だって。少年たちよ、「Tchüss!」
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/06/30
[ドイツより] 負けちゃった~:IchとWirの間で...
ヨーロッパ杯決勝戦。スペイン対ドイツ。ドイツ負けちゃった。
繁華街の飲み屋はみな、店の外の歩道にテーブルや椅子を出していて、みんな外でテレビを見ながらビールを飲んでいるわけだが、面白かったのは、試合終了の笛がなってから15分ほど、その繁華街が、シーンと静まり返ったこと。これまでの勝った試合とは、好対照。この度は、勝ったときのざわざわとした集合感情の起伏が、微塵も感じられない。
酔っ払って「♪Viva~España~♪」と歌いだした酔っ払い軍団を除いては、みんな神妙な面持ちで、黙って事態を飲み込んでいる。なかには隣人となにやら小声で話す姿も見られるが、それがせいぜい。これこそドイツらしいstoicismではないか、という気がした一瞬だった。「Nein!Nein!」とか叫びだす人は一人もいない。スペインが負けていたら間違いなく、スペイン中が一斉に「¡No, no, no, no, no!」とか「¡Dios mío!」とかの大合唱になっていただろう。
きっと先のセンソーに負けたときも、この延長線上の深い沈黙がドイツ全体を覆ったのではないかと考えられる。
話はちょっと変わるが、現代社会は岐路に立っている。Virginia Tech、9/11、秋葉原事件など、どれも一脈通じるところがある。社会が激変する渦中にあって、個人と社会が衝突し、その火花が方々に飛び散っている。そんな現代、ドイツなどには独特の安定感を感じる。
この間のブログで「ドイツ対トルコ戦、ドイツが負けたらドイツ国内のトルコ移民との間で軋轢が生じるのではないか」というようなことを書いたが、周りの同僚たちによるとこの懸念はトンデモ見当はずれらしい。彼らにとってその懸念は、常軌を逸した邪推のように映るようだ。「そんな野蛮なことは、考えもしなかったなぁ~」とでもいわんばかり。事実、翌日のニュースなどには、ベルリンでトルコサポーターとドイツサポーターが仲良く肩を組んで応援しているような画が、報道された。アメリカ人の感覚では当然考える軋轢なのだが、ヨーロッパ国の国民たるドイツ人たちにとっては、考えも及ばないみたいだ。
そのドイツ人の安定感は、煎じ詰めると、「We」という社会概念の安定感に帰着するような気がする。
ドイツは現在でこそ統一連邦ではあるが、地方による文化の違いも大きく、その実、歴史のほとんどは、小さな封建領土の緩い連合体として存在してきた。だから、「ドイツ人」という意識よりは、「ライン地方人」とか「ザクセン人」とか、そういう意識のほうがむしろ強い、と人は言う。また人種の上でも、ヨーロッパのど真ん中に位置する都合上、相当スラブ系の濃い人から、いかにもゲルマン系の人、中にはラテン系を匂わせる人まで実にさまざまであり、ドイツ語とドイツ文化という緩い縛りによって、ひとつの民族的ジンテーゼをなしている。二次大戦後の大移住はポーランドなどに住んでいた東部ドイツ人を国土全体に分散したし、東西分裂は、「東ドイツ人」「西ドイツ人」という新しいcategoryをも生み出した。さらに現代ではEUの中心的メンバーとして、ヨーロッパ人という自我もしっかりと定着しているようだ。ミクロ社会のレベルでは家族を大切にして生きている人が多いような印象を受けるが、そういうレベルでの社会自我も、保たれているようだ。こういった多重の玉葱式社会構造が、流動的な現代社会において、ドイツに安定感をもたらしているのだと思う。つまり、ドイツ人にとっての「We」という概念は、奥が深いのだ。
一方、アメリカの「We」というのは、奥行きに欠ける。せいぜい戦争でもなきゃ、なかなか民心を束ねることができない。その点、オバマ氏はアメリカ国家の存在の核心を実によく理解してより建設的な「we」を築こうとしてる気がしてならないのだが、そうだとしても、「Yes we can」の「we」は、建国の理想や公平の理想などといった机上の概念に依拠する、ある意味ではnaiveで腰の高い「we」ではある。長い歴史を経てしか生まれ得ない、多重の奥行きは、そこにはない。人間の一生にたとえれば、高校生くらいの「we」にとどまっているのだ。
日本古来の「we」というのは、実をいうとヨーロッパよりもさらに奥が深いはずだった。でも、民族的・文化的な均質性に依拠していたため、現代社会と齟齬を生じ、その矛盾に耐え切れなくなっている。しかも、イデアとしてはっきり意識されてきた概念ではなく、むしろ風土に、そしてDNAに深く刻みこまれた潜在意識であるため、<都市社会で風土が見えなくなり、人間が生物学を超越する(かのような振りをしている)現代>においては、とたんに隠れてしまう。
仮にこのテーゼを受け入れるとして、日本社会はどういう社会を目指すべきなのだろう。
民族的均質性は、もはや望めない。血統の均質性を保つためには、北朝鮮のように鎖国をし、cosmopolitanな現代社会に完全に背を向けなければならないが、そうしたら現代日本は存続できない。とすると、日本文化・日本社会を救うには、文化的な基盤に一端立ち戻り、取捨選択のうえ水準を高め、ある意味では文化的な国粋主義を敢行する必要があるのではないか。
もちろん、西洋文化などに背を向けよというのではない。文化の相互影響は、そんな単純に割り切れるものなんかでは、ない。都合のよいことに、日本は古来から、異文化のある要素だけを抽出して日本文化に緻密に織り込むという、1500年以上にわたる歴史がある。しかし文化というのは、自らの重心なくしては、異文化を取り込むことはできないのだ。
中高の恩師である国語教師は「国語ができないやつに英語などできるわけがない」といっていたが、それはことの核心をついている気がしてならない。僕自身の自我がアメリカ文化と日本文化の微妙な折衷の上で綱渡りをしているような不安定なものなので、だからこそこういった矛盾がすぐ見抜けるのかもしれないが、どう考えてもアメリカ人ではない日本人が、日本人らしさを足蹴に一生懸命アメリカっぽく振舞っているのを見ると、醜くて仕方がない。これは文化・社会・経済、すべてにわたって、一様に感じることだ。ただ、鹿鳴館の鏡に映ってみえる姿は、実を言うと自分自身なのではないかと、今ひとつ気がかりではあるのだが。
文化は一般に借り物競争のようなものだというが、仮に日本は「超借り物文化」だとしよう。その特質をうまく生かすと、実に風通しのよい、開かれた文化的な国粋主義が可能なはずだ。あるいは逆に、ラーメンを極めたニューヨーク人とか、外人神父の座禅とか、99.99%の日本人よりも古典の知識の深いライシャワー氏とか、そういう「ガイジン」は、数限りないのだ。
守ることをせずには破ることはならない。だから日本文化の守るべき核心とは何か、そこら辺を真剣に探ること、そしてそれを死守することこそ、Homo sapiens japonicusに課せられた第一歩であろう。
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/06/26
[ドイツより] Deutschland, meine dritter Heimat
ドイツがユーロ杯決勝進出。この試合もまた、例によって街中で観戦。町中で買ったドイツチームのTシャツと、学食で配っていたドイツの小旗とで、装備は完璧。
今週は、うちの研究室に二台ある脳細胞記録システム(1台1000万円くらい)の出張修理兼販促で、テキサスからうちの研究室に、カナダ人の会社技術者兼マーケティング部長が来ている。そのうち一台が新しく買ったもので、どうもうまく記録がとれずに、半年以上ほこりをかぶっていた。
でシステムの不調は、電源からのスパイクの漏入よって、DAQがクロックを読み間違えてしまうことによるものだったらしい。 僕の担当の機械(博士の師匠の会社で作っている光学機器)には、最初にちゃんと、電源のところに電源フィルターを入れておいたから、そんなのばっちり。だって、オシロスコープを一目見たら、どっかから変なのが入ってきているなんて、一目瞭然だもの。
東ドイツ時代の配電がよくないのか、それとも古い冷蔵庫(?)かなんかが同じ配電盤につながっているのか。 いずれにしても、小ボスの腐乱苦(仮)に対してはまた一段、株を上げたみたい。だって、ほかのポスドク・院生たち、こぞってその新システムの駄目だしをしようと、半年近く苦心していた。僕の買ってもらった新しい機械は、渡独2週間目にはちゃんと、実験結果を出していたもんネ。アッカンベー。僕の電気は「最低限なんとか」レベルだと思うんだけれども、だからなおさらほかの人たちには、ちょっと失望。
で、その技術者券会社重役をちょっと街中に案内して、その後院生の恥無(仮)夫婦と合流して一緒に観戦した。こういう業者の人というのは、独特の視点を持っていて、とても学問の全体的な推移に敏感だったりする。変な学問的意地とかがないから、総じて見通しがよい。どこら辺がこれから↑か、どこら辺が↓か。いろいろ興味深い話を聞くことができた。
ひとつには、世界情勢。現在日本は年5台程度、中国は数台納入しているそうだ(アメリカは60台とかいっていた)。でも5年以内には中国と日本は、逆転するだろうとのこと。でも中国は、研究費の当たっている研究室はどれもアメリカ帰りの中国人で、よそから外人が入り込む余地はなかろう、と。アメリカの科研費危機については今年に入って小康状態、少し販売も回復の兆しを見せているそうだ。
あと、業種内での事情。これからの脳細胞の電気的記録機器は、現在5社ほどある小規模な会社同士で、統合・整理が起きるだろう、と。光学的な記録・刺激とか、ちょっと流行りだしているような実験までもを取り込んで、分野内でもさまざまに専門分化している細胞外電位記録の会社同士が合併し、どんどん多種の測定を、簡単に同時にできるようになっていくだろう、と。
生化学・分子生物学の試薬会社では、少し前に同様の合併の嵐が起きたばかりなのだが、はたして複雑な記録機器、しかも一台が1000万円を超えるような機械について、そんなに簡単に合併がなるのかどうかは、不明ではある。まあでも、細胞内電位の記録装置(100万円単位?)としては、悪損機器(仮)が合併などを経て独占首位に立ったわけで、同様のことが細胞外記録装置でもおきる可能性は、確かにありそうだ。
ドイツの決勝進出に踊り喜ぶ、Magdeburg市民たち
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/06/22
[ドイツより] トルコ人とドイツ人
ドイツもトルコも、EU杯で勝ち進んで、水曜日にはBaselにて、準決勝対決となった。これは大変なことになりそうな予感。
というのも、西ドイツの1960年代高度経済成長は、トルコ人の労働力によって支えられたもので、西ドイツ全域には大量のトルコ人が住み着いている。フランスほどではないにせよ、民族対立もあるようだ。日本のR研のサマーコースで知り合った友人のトルコ人によると(彼はトルコ本国の大学を卒業して、政府の奨学金でHeidelbergに留学していたから、いわゆるトルコ移民ではないが)、ドイツのいわゆるトルコ人は、アナトリア高原などの田舎出身で、教育水準も残念ながらあまり高くないのだとか。
で、その彼らは結構、トルコに対する愛国心が強いようだ。先々週ベルリンの壁を歩いた際、出発は南のトルコ人居住区、クロイツベルクからの出発であった(Kreutzbergは、西ベルリン)。で、団地の窓や自動車には、赤地に白い月のトルコ国旗がたくさん飾ってあった。もちろん、ドイツ人たちはドイツ人でいわゆる黒赤黄旗を飾っていて、EU杯を勝ち進むにつれて、町中を走る自動車の旗の数は日増しに増えていっている。
僕だったら遠慮してせいぜい、日の丸(だか星条旗だか)と、ドイツ国旗を同時に飾るかな。事実、極少数ではあったが、ドイツ国旗とトルコ国旗が仲良く風になびいている姿も見かけはした。でも、トルコ国旗だけ、というのは、ドイツに移住したのだという感覚が全くないともとれる。これは、日々の生活の上でも見かけられる姿勢(らしい)のだが、西ドイツ人たちはどこかに根深い反感を抱えていたりするような気がする。まあ、「自分たちの都合で移民を推奨しておいてからに」といえばそれまでなのだが。
だから水曜日にもし、トルコが勝ってドイツが負けでもしたら、酔っぱらいのネオナチ・フリョーたちによって、また一騒動あるのではないか、と懸念されるのだ。
ちなみにここマグデブルグは東ドイツなので、トルコ人に当たるのは(北)ヴィエトナム人。だから町の「中華」料理屋はどれも、甘目の南国風。で、彼らはトルコ人のようには問題を起こしてはいない模様である。水曜日、せっかくなので町中で観戦しようかと思うが、これは友人らを誘って何人かで出かけた方が、よいかもしれない。先日町中で手に入れたドイツチームのTシャツを着込んで。ドイツチーム、今ひとつさえない感じだったし、負けでもしたら、平和なマグデブルグにしたって、少々荒れる可能性はある。
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/06/18
[旅日記] 小旅行2008 ベルリン(c-2) 落書きの上に落書き
East Side Gallery。Spree河沿いの何百メートルかにわたって、壁がそのまま残されており、壁崩壊後にたくさんの有名な落書きがなされた。
View Larger Map
なんだか、「ベルリン・天使の詩」でも登場した気がする。あの映画はなんだか冗長でよくわからなかったが、ベルリンに親しみがわいてきた今、再挑戦の時が来たのかもしれない。たしかDVDがあるので、ドイツ語に挑戦、という手もある。あと、「Goodbye Lenin」あれもベルリンが舞台だったが、とてもsweetな映画で、また観たい。

どこかのドキュメンタリーだか時事写真集だかでみたような、有名な落書きがたくさんある。その有名な落書きの上に、たくさんの無名な落書きがされており、せっかくのアートが隠れかけている。でもそもそもが落書きなので、「さらに落書きすな」とはいえないのが、皮肉。こんなところにも、歴史の無常を感じずにはいられない。壁が崩壊してもうすぐ20年--あと20年もしたらきっと、壁なんて、実感がなくなるのだろうね。
さらに、明らかに日本人のものとわかる、しかも程度の低い落書きもちらほら。ドイツ、さらには西洋には、落書き文化というのが古来からあるし、ドイツほどいたるところに落書きがある国は生まれて初めて。日本には、こういう種類の落書き文化はあったっけ、で、そこら辺の隔絶に「猿真似」とか「国辱」という言葉が想起される。<現代の「日本人」の多く>にひき比べ、<アメリカ人でもありしかもドイツかぶれの僕>のほうが、よっぽど日本というエートスに通じているのではないか、と思うことが時々ある。
まあ、ただの勘違いかもしれないし、あるいは、ガイコクに住んでいるから過去形の「文化」を生きることができる、という面もあるのかもしれない。あるいは、日本語が場違いだから、その落書きだけはしたなく感じるのかもしれない。ロシア語とかも、読めたらきっと、相当くだらないことが書いてあるのだろう。いずれにせよ、落書きに秩序を求めるほうが、間違っているといえば間違っている。
旧東ドイツの旧国産車、トラバントによる観光案内が、壁の前に隊列を組んでいた。
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/06/17
[旅日記] 小旅行2008 ベルリン(c-1) 涙のFriedrichstraße駅
もう1週間以上前のことになってしまうが、かねてから計画していたベルリン壁の旅がついに実現。ベルリン内市街の壁のルートを、1日かけて、20 kmちょっと、歩いた。
View Larger Map
そもそも、このところ「メディカルスクールを卒業したら、またMagdeburgに帰還してポスドク」計画が若干揺らいだりもしている。だから、現地に暮らしていないとできないようなこういう観光が、重みを増してくる。
少し前までは95%くらい決まりだったはずの、マグデブルク帰還計画。
考え直しはじめた一因としては、メディカルスクールの一番の友人(MD/PhDの1年先輩)の栗巣(仮)が、病理研修への出願を決意した。病理、僕も考えたことはある。研修科の中でももっともスケジュールが軽い部類で、半分ポスドクのように研究しながらでもできるという。あと、古来から医学の中ではもっともアカデミックな科の一つで、あと、研修先で仮にそのままポストが得られたとして、医学部の授業をやらなければならない以外は、臨床のdutyがきつすぎて研究ができなくなるような危険性は、もっとも低いと考えられる。
栗巣は腫瘍学の博士をとったので、病理などは実にそのまま。でも脳の僕にしたって、必ずしも研究に役立たないとも限らない。というのは、僕のトレーニングは分子生物学・生化学・生理学・電気生理学が中心で、脳科学の学問的支柱である解剖学が、ほとんどすっぽり抜けている。教科書で読むくらいは知っているが、適確な研究構想を練ることはちょっと無理だろう。仮に研究室をもてたとして、解剖関連のテーマで金を取ろうと思ったら、誰も相手にしないだろう。
で、科学者としてヒトの脳にモノとして実際にふれられるのは、だいたい、漬け物になってからである。無理して開頭したてんかん患者を相手に電気生理学をやっている殊勝な人たちもいるが、脳のmesoscopicな構成に興味が向かうであろう今世紀、<広範な脳回路全体をめちゃくちゃに駆動してしまうてんかんというstateの脳>を研究するのにも、限界がある。第一、そういう派手な研究は大御所じゃないと、できない。
MRIで、「フツー」状態の脳を計測しよう、という話もある。でも、つい先週ミヒャのボスでもある大御所がNatureに大レビューを出したように、MRIは脳が集合的に動くという前提が通用するような厳選された生物学的な問題にしか、本来は適用できない。これから先、この制約が、工学的に解かれるという見込みもない。だからいくらきれいな画がとれたって、生物学的な前提が狂っていれば、統計的に優位な脳の局所的「活性化」だって、その解釈は難しい。
だから、最終的にはヒトの脳を探ることをもし脳科学の目標とおくならば、病理学に手を染めることも、悪い話ではないかもしれない。あと、学位だけとって免許を取らない(つまり、研修をしない)といったら、親もきっとうるさいだろう。事実、自分の履歴書を客観的に見ると、免許くらい取っておいたほうがよい、というのは正論のような気もする。
いずれにせよ、インターネットで調べて、ベルリンの壁を歩いた。
まず、ベルリン乗り入れ。普段使うBerlin Zoo駅ではなく、今日はFriedrichstraße駅から入った。この駅は旧東ベルリンに少し入ったところにあるが、鉄道での東西の接点となっていたらしく、駅は西側ゾーンと東側ゾーンに分断されていたらしい。ここで家族が引き裂かれたりしたものだから、「涙の王宮」と呼ばれていたという。
View Larger Map
あまり大きな駅ではない。このホームの間にきっと、巨大な壁が立ちはだかって、駅の中には銃を抱えた監視兵がたくさんうろうろしていたのだろうFriedrichstraße駅から地下鉄で、南のトルコ人地区にあたるクロイツベルグ方面へ。Schlesiches Tor駅から歩行開始。
View Larger Map

公園の隅の壁。下調べをしていなかったら、見逃していたところだ。ただの落書きだらけの壁にしか見えない。これが、多くの死者を出し、多大な悲しみの源泉であったとは、想像だにできない。
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/06/16
[ドイツより] Deutsch!-land! (cha!-cha!-cha!)
今日はこの地に来て最初に投稿した論文について、長い査読の末蹴られるという残念な結果があったので、少々落ち込んでいたら、院生の恥夢(仮)がサッカー観戦に誘ってくれた。
重要な結果なのだが、同業のえらい研究室でやっているでたらめを暴くような内容も若干含むので、はじめから苦戦するのはわかっていた。生物学とか解剖学とか光学とかの限界を無視して、統計で優位が出ればいいような顔をしている。統計・実験、それぞれの計画・施行段階でトンデモ生物学の誤った前提がたくさん入り込んだら、いくらp値がよくたって、嘘は嘘。
Anyway、論文にしなければならない仕事は山積していて、手堅いがあまりはやらないような論文でくよくよしている暇はないのだ。すぐにぐんとランクを落として、博士の師匠以外の査読者に難癖をつけられた内容に少し手を加える程度で、ほとんどそのままで出すことになるだろう(博士の師匠の査読はとても好意的だった、彼はお世辞でも駄目なものをほめるようなことはしないので、彼の好意だけありがたく受けることとする)。
で、サッカー。町の中央のAlter Markt(旧市場)の広場には大きな画面が設置されて、みんなでビールを飲みながら、Bratwurst(焼きソーセージ)をほおばりながら観戦。ヨーロッパ杯、ドイツ対オーストリア。試合内容は、サッカーにさして興味のない僕でもそれとわかるくらい、凡庸でどうしようもないものだったが、ドイツチームはこれに勝つと決勝トーナメント進出、負けるとだめ、引き分けても多分無理、という状況だったので、みんな熱狂していた。幸い、東ドイツ出身のMichael Ballackのゴールで、さえない試合もなんとか勝ったらしい。それより、みんなで広場に出向いて観戦、という町の連帯感が、心地よい。

町中大騒ぎ
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/06/07
[ドイツより] Lange Nacht der Wissenschaft
「夜更けの科学」てな感じか。Magdeburgの街興しの一環で、街中の科学施設や大学の各学科・専門学校(Fachhochschule)の各学科が一斉にオープンハウスをして、市民がみんなで循環バスに乗って見学する、という企画。夏に入って夜は10時近くまで薄明るいのだが、「Lange Nacht」は先週土曜日の、18時から午前1時まで実施された。この企画、はじめて3年目らしい。人生最後のMagdeburgかもしれないし、研究所で説明係を務めている同僚たちにわびを入れて、よその研究所を回ることにした。
で、なにより感心したのは、秀才少年からちょっとビールくさいフリョー君たちまで、あるいは老夫婦・高校カップル・学齢前の子供連れなど、老若男女実にいろいろな人がみな興味深そうに科学者たちのお話に聞き入っているということ。説明する側も皆、これも科学の重要な社会機能である、ということをわきまえて、サービス精神旺盛だ。Fraunhofer通りとHeisenberg通りの交差点。もちろんGüricke通り・Einstein通り・Kepler通り・Lebniz通りなど各種あるし、研究所から南に10分ほどジョッギングした団地には、道が全て惑星の名前を充てられている一角などもある。察するにたぶん、統一後、Karl-Marx-Strasseの類を改名する際に、科学的テーマを採用したのだろう。
そもそもMagdeburgは東ドイツ時代は大工業都市だった。プロイセン時代以前はElbe河貿易の要衝。Sachsen-Anhalt州の州都でもあるので、巨大なOtto-von-Güricke 1大学があるが、
伝統的に学問の盛んな町ではない。東ドイツの学問都市といったら、Lepzigとかが本流であろう。
でも東西統一後の経済混乱と国営重工業崩壊のなか、国策の意味もあってか、西ドイツの研究財団は一斉にこの街に、現代学問の要請に応えるような研究所を新設した。物価も安いし、新首都ベルリンからも特急で1時間ちょっと、地の利もよい。我がLeipniz協会の脳生物学研究所のほかにも、Max-Planck協会の複雑システム研究所、Fraunhofer協会の工業システム・自動化研究所などもあり、国策なのか財団経由のサポート以外にも連邦の科学研究費のあたりがよいらしく、大学の各学科含めて、総じて研究が潤っている。
Max-Planck複雑システム研究所。Max-Planckはさすがに、金持ちだ。レモンの酸に銅とか亜鉛を突っ込んで電池にする、酸化還元電位の実験。こんな教科書の化学なんて、彼らの研究とは直接関係ないはずだが、もちろん研究室に転がっている資材で簡単にできる実験だ。そういう気の利かせ方って、科学には欠かせない気がする。
醗酵器で微生物の人口動態を追う実験。元々農学部の出身で醗酵とかもやる学科にいたので、こういう実験にはどことなく郷愁を感じるのだが、面白いので試しに白を切って「これは何の役に立つ実験なんですか?」などと、説明係のかわいい大学院生をいじめてしまった。イヤな奴。
Fraunhofer研究所の隣にたっている、工業プロセスなどの研究施設。どうやら大学や研究所の共同施設らしい。色も形もおかしいが、ここで実験したことのある同僚によると、電磁遮蔽がとてもよくつくられていて、一歩はいると携帯はもちろん通じないらしい。
一番おもしろかったFraunofer研究所。Fraunhofer協会はそもそも、産学連携や実践科学が目的らしい。で、残念ながら写真撮影禁止だったが、最近Deutsche Bahn(JRみたいなやつ)のBerlin中央駅に納入したという自動窓ふきロボットの見本や、Siemensと共同でやっているというRFID(電磁的なシール)による飛行機の機内食・商品管理システムの見本や、下水管自動掃除ロボット、飛行機の機体検査ロボットなど、ドイツ語がわからなくても興味深かった。
わが研究所。右端は我が家(ゲストハウス)。事務からのメールによると、今年は見学者が1000人近く入って、大盛況だったらしい。あまり見た目はよくないいわゆるDDRbau(東ドイツ式ビル)だが、壁にヒビが入っている以外は、意外と機能的ではある。光学計測をしていると何より感じるのだが、3階でも床振動が殆どない、頑丈な作りである。でも来年着工で立替、さらには新棟も建設されて、床面積は倍増するらしい。また2年後に来てしばらく年貢を納めたら、うまい具合で小さな研究グループくらい、持たせてもらえないかなぁ。
で、もしも2年後にこの地に戻ってきたら、Lange Nachtのときに、どこかでイカかアメフラシかコオロギかなにかを買ってきて、電気生理学と光学イメージングの展示をしようかと思う。現代の神経生理学は、前世紀半ばの無脊椎神経系の生理学に基づいており、本質的な哲学については基本的に変化はない。最近はやりの神経回路の集合活動などの話だって、無脊椎で研究されていたものがそもそもの原点だ。そして、いくら市民の科学的意識が高いMagdeburgとはいえ、哺乳類実験の展示は難しい。部門の同僚は、ラットの行動実験の展示をしていたが、それくらいが精一杯。それができるだけでも、この街の市民の科学的な理解度の高さが伺える。
西ドイツ出身の小ボスの腐乱苦(仮)と雑談していたら、Magdeburgには、自らが育った60年代の西ドイツにあった、科学に対する一般市民の期待と興味がまだ息づいているという。西ドイツやアメリカ、日本は、すでに豊かになりすぎたのであろうか。それにしてもこのフランクの観察は、じつにGenau(≒そのと~り)である。
1. 真空の発明者、ということになっている。馬が向かい合って真空の半球を引っ張って、真空の力を示した公開実験は、実に有名だ。 馬←(|)→馬
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/06/06
[ドイツより] Gemeinsam stark!
ちょっと考え事をしながら町を散歩していたら、やたらと警察の車が多い。旧市庁舎前の「古市場(Altermarkt)」になにやら人だかりができている。遠くから、赤いベレー帽がたくさん行進しているのが見える。なんだか仰々しい雰囲気だったが、まあ警察もたくさんいることだし、と恐る恐る近づいてみると、MPの腕章をつけた迷彩服が人だかりの周りで警備している。
どうやら、軍警察のMagdeburg支隊が、街の要人たちの視察を受けて行進しているようだ。みんな立ち止まって、気をつけ、をしたと思ったら、大声で一斉に「GEMEINSAM! STARK!」。団結は力、とかそういうことらしいが、それにしても、だ。きっと、兵役の子供たちもいるのだろう(ドイツの男性は18歳の年に、9ヶ月の兵役または福祉労働の義務がある)。高校出たてくらいのあどけなさの残るその少年たちの威勢のいいかけ声が、初夏の深い夕空を突き抜ける。「ヒッ寅ー・ユーゲント」とか「国家社会主義」とか、そんな言葉が頭を駆けめぐって、一瞬、背筋が凍る思いだった。ドイツ人にとっては、そういう連想はないのかもしれないが、ガイジンにとってはこんな状況下、ドイツ語で雄叫びをあげられた日には、そう考えても不思議はない。
あっけにとられて、行進が終わって広場をほとんど出て行くまで、写真を忘れていた。(拡大すると、左端に野戦のように仕立てた主賓席、右の広場出口に制服の憲兵たちがみえる)
最近、2年後にメディカル・スクールを卒業したら、どこかの国で独立して研究室をもてるようになるまでの(願わくは)3-5年程度、この地にまた戻ってきてもいいかな、と思うことが多い。親は反対するだろうけれども、彼らとて日本を飛び出してアメリカに15年ほど働いた。坊ちゃんではないが、親譲りの無鉄砲であるからして、最終的には文句も言えない。そして仕事場のヒト、カネ、設備など、あまりに環境がよく働いていて効率もよいし、気持ちもよいのだ。
研究室はあまりに居心地がよいのだが、↑のような時に時折「ここは外国なのだ」ということを深く再確認する、そんな初めての外国暮らし。もしも2年後に戻ってきたら、教授資格試験(ハビリタチオン)の準備を進め、状況によっては骨を埋めるくらいの覚悟は必要だろう。その心の準備は果たして、あるのだろうか。
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)
2008/05/03
[ドイツより] AmpelmännchenとTrabbi
旧東ドイツの歩行者信号は、Ampelmännchen(信号機の小人さん、Ampelmann)の愛称で親しまれている。旧東ドイツで導入された1961年当時は、帽子がちょっとプチブルジョワ的だと懸念されたらしいが、今では旧東ドイツを思い起こさせるノスタルギーの的だという。
統合のときにこのAmpelmännchenを廃止して、西ドイツ標準(ヨーロッパ標準)の歩行者信号を導入しようとしたら、大反対運動がおきたのだという。身の回りで大革命がおきているとき、人というのは一見くだらないような小さな恒常性にしがみつく。で、今では、ベルリンにAmpelmannグッズの売店すらあるという。
ヨーロッパ標準の歩行者信号
旧東ドイツの一般用国産車、トラバント(Trabant)。愛称Trabbi。車体は強化プラスチックが中心で、当時は東ドイツの国力のなさの象徴のようなものであったらしいが、いまでは日本車やヨーロッパの車は軽量化がトレンドであるわけで、皮肉だ。ひどく乗りごごちが悪いらしい。
自然科学系blogランキング(読んだらクリックしてね)









