[旅日記] Strasbourg/Köln (1) 国境と国
母がケルンの学会に来るというので、ドイツ国内観光もかねて同伴することにした。ほとんど帰省する暇もないので、学会前にライン川沿いのどこかを少しゆっくり観光しよう、ということになり、その地方出身の同僚のすすめで、フランス国境をちょっと入ったところにあるストラスブールに3泊することになった。
ストラスブールはEU議会や欧州人権裁判所などが置かれており、今では欧州連合の首都となっている。また歴史的にもライン川の要衝にあたり、カール大帝(Karl der Große、Charlemagne)後は歴史的にフランスとドイツ(神聖ローマ帝国ほか)の間を何度も行き来した、ヨーロッパ史の一つの舞台でもある。
ドイツ・フランスなんて、国境はまるでない。忘れまい忘れまいと思っていたパスポートも、案の定マグデブルグの部屋に忘れてきてしまったのだが、幸い問題なくフランス滞在は過ぎた。ヨーロッパに住んでいると間違いなく、そういう「国」の感覚が変化してくる。ドイツ側のOffenburgで特急列車を下車し、写真(上)のローカル電車に揺られて30分。国境を渡って変わったことといえば、駅の標識がフランス語になったことと、川を渡った向こうから検札の車掌が急にフランス語を話し始めた、まあ、そのくらいのものだ。
特にドイツ人がそうなのかもしれないが、国家の意識は着実に薄れていて、「ヨーロッパ」という集合的社会自我が、それに取って代わってきているような気がしてならない。友人の医学生屁留源(仮)によるとそもそも、「ドイツ人」という民族意識はもともとあまりなく、「Sachsenの人」とか「Frieslandの人」とか「Bayernの人」、とかそんな感じらしい。ストラスブール・ケルンにいくといったら、「ラインのあのあたりの人たちは笑い方も大げさで賑やかだから、Sauerlandの僕はいくとちょっと違和感を覚えるんだ」なんていっていた。
そもそもそのSauerlandの屁留源君だが、母親がオランダ人らしく、カトリック色の濃いSauerlandにあってプロテスタントだというので、彼は彼で自分探しのIdentitätskriseを経ているらしい。端から見たらオランダもドイツもほとんど変わらない気がするが、ヨーロッパ人たちにとっては、深刻な違いらしい。で、そこら辺もあって、アメリカ人とも日本人ともつかないような僕とも、話が合うのだろう。
このあいだ貧乏学生の彼があまりに栄養失調気味の顔をしていたので、先輩風をビュービュー吹かせながら、ポスドク富豪学生の身分を活用してタパス屋でおごったとき、ドイツ人と日本人(とユダヤ人)、そしてアメリカ人と中国人の、大陸を超えた民族気質の相似関係について、とってもおもしろい話になった。彼は、それは地理的なものだろう、という。アメリカ気質も中国気質も手を伸ばせばどんどん領地が拡大してゆく地理条件の下で育まれたものなので、なんだかアメーバのよう(←これは僕の言葉だが)。逆にドイツや日本は、まじめに農業に取り組んでいかないといけない地理条件のため、細かい民族性が生まれたのではないか、と。現代人が農業・土から離れてゆくにしたがって、そして金さえあればおいしいものが何でも食べられるようになって、世界中がだんだんアメーバ化するのは、実に社会進化の必至なのかもしれない気がした。
ちょっと脇道にそれすぎた。屁留減は普段静かなようで、上手くつつくといくらでもおもしろい話が出てくる。医学と同時に神学も専攻していて、Studienstiftung入会のきっかけは学校で作成した歴史論文が優秀だったからだという、まさに全人というやつ。晩秋にゲッチンゲンの医学部に戻ってしまったが、週末に時々まだ、医博の実験の残りを片付けにマグデブルグに戻ってきているものだから、書き留めておきたい話はもう数限りない。でも、話を無理矢理ストラスブールに引き戻す。
ストラスブールは美しい町だと聞いていたが、旧市街はどちらを向いても、町が画になっている。憎いほどだ。数歩歩いては、写真をとる。日本人観光客のステレオタイプのような行動も、我慢しきれない。
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