[ドイツより] Studienstifler
一定の精神生活を有する国には、どこも、エリート制度がある。日本人は特に、「イヤミだ」と反射的に思う体質があるものの、この事実には、変わりない。民主的な現代におけることの本質は、一芸に秀でた人同士を寄せ集めることによって、一芸の切磋琢磨が起きる、というところにある。ゲージツにしたって、スポーツにしたって、オベンキョーにしたって、どれも一緒。
一芸に秀でた人を集めるからには、その一芸以外は無能な人が集まってしまうことも、時としてやむをえない。また、その一芸にすら秀でていない、ただの間違い、ということも往々にしてある。逆に、ゲージツ・スポーツ・オベンキョーどれをとっても、別に、一芸クラブに属していなくてその一芸に秀でた人は少なからずいるわけだが、一芸クラブに属したほうが、少ない労力で高みにいたることができる、という、こういう仕組みなのだ。
ドイツでは大学は比較的平等で、表立ってHarvardだ、東大だ、Oxbridgeだ、ENSだ、といったことはないらしい。それに替わる制度が、Studienstiftung(ドイツ国民学問協会)と呼ばれるものだ。
奨学金の額は、たいしたことないらしい。特に、親の収入が一定以上だと、ちょっと書籍代、といった程度だという。ただ、彼らには多くのネットワーク・イベントが用意されているらしい。また、海外や国内で渡り歩くのも、円滑になるという。たとえば、友人・共同研究者のミヒャは、Studienstiftungの派遣で大学1,2年に当たる年に1年間アメリカにきたところを、研究室で知り合った。研究室の居候医学生である屁留弦(仮)も、Studienstiftungの援助もあってGöttingen大学からこちらに出向いて、医博の研究をしている。
Studienstiftungの選抜は相当厳しいらしいが、各地の学校からの推薦などによる候補者を、一人一人入念に面接して決めるという。いろいろな意味で他国のエリート制度よりも合理的であるかもしれない。
と思いきや先日、屁留弦がなにやら大騒ぎしている。彼が学ぶGöttingen大学が、ドイツ政府より、エリート大学の称号を受けたのだそうだ。日本のCenter of Excellenceとかに類する、どこに出もあるような月並みな役人の考えた、ピンぼけの学術推進策がドイツでも行われて、その結果が出たそうなのだが、彼、純粋にうれしいみたい。
エリート街道から外れてしまった僕がいうのも馬鹿らしいのだが「エリート大学なんてね、確かに凄い人の割合は多いけれども、馬鹿の割合も多いような気がするよ。真ん中の普通の人が少ないんだよね。そしてね、そういうところの馬鹿は、たちが悪くて賢いから困る。」なんていったら、晴れて新しくダブル・エリートとなった屁留弦は、フムフム、たしかにそんな気がする、といっていた。
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