[雑記] 初夢
今年は元旦に、不思議な初夢をみた。起きてすぐはなんだか内容を覚えているような感覚はあったが、言葉にしようとすると出てこない。プリズム眼鏡をはめたときのように、記憶を手繰り寄せようと手を伸ばすと、視覚情報からはそこにある「べき」ものがない。手が空振りした、という体性感覚が脳内に広がった瞬間、実在は一瞬のうちに虚構に変わる。この初夢も、言葉に出して反芻しようとして、でもそれをあらわすべき言葉がでてこないことが分かった瞬間に、霧消する。
そういえば前読んだ論文を思い出す。猿は、自分が何かを記憶している、ということを認知している(かのように行動する)というのだ。その人が学校にセミナーをしに来たのだが、ちょうど猿の行動学に興味を持っていたころだったので、印象深い。
最近は猿との付き合いはなく、時々すれ違いざまに挨拶、程度なので、猿行動学などについて考えることは少ない。よって当時の結論を繰り返しておくと、「人間は実を言うと猿のように単純なことが原動要素で、人間の<高等な>認知機能はその原始的な欲求の体現をあとから正当化するための、屁理屈マシーンである」。猿と日がな付き合っていると、人間の行動が猿の行動に重なって、実にくだらないもののように見えてくるのだ。
もうひとつ、「猿に同じ ’記憶’ 芸や ’認識’ 芸を朝から晩まで繰り返させて、一生懸命その脳機序を探っても、無意味である」とも思った。複雑系としての大脳のあり方に本格的に傾きだしたのはそのころだったのかもしれない。まあ穿った見方をすれば、猿研究室での1.5年は結局紙の上では無駄に終わったので、その腹癒せでこう↑思うように至ったという面も、きっとあるのだろう。
初夢に話を戻す。記憶は曖昧模糊として、つかみ所がないのだが、はっきり覚えているのはなんだかもらい物競争だかオリエンテーリングだかのような状況で、ひたすら歩いているのだ。そして、定期的にチェックポイントに到着して、到着とともに鐘がなる。この鐘というのは実をいうと現の世界のもので、10分ごとにスヌーズ機能が切れる、携帯の目覚まし音だったのだが、その事情は夢の中でも分かっていた気がする。歩いてはチェックポイントに到着して鐘がなる、というサイクルを、4,5回は繰り返したと思う。
何が不思議かというと、夢の中では各チェックポイントに到着する寸前に、必ず、その鐘は鳴り出した。森の中・砂の中・草原の中、詳しい内容は覚えてはいないのだが、いろいろな場面をいろいろな方法で通過したあと、チェックポイントに近づいてくると決まって、鐘が鳴り出す。
体内に正確な10分時計があるとは考えにくいから、スイス時計のように精確に10分おきにチェックポイントに到着する、というのはつまり、携帯のアラームを聞いたあとに、そこに至った経緯の夢を脳が遡ってテキトーに辻褄合わせのストーリーを合成している、と考えるのも妥当だろう。去年読んだRhythms of the Brain
だが脳の臓器としての挙動を考えると、このbrain without rhythmというのはうまく噺にならない。確かに、夢を見るような浅い睡眠は脳細胞の集合的なリズムが総じて小さい状態なのだが、困ったことに、覚醒時も同様に大きなリズムがない状態なのだ。逆に、周期的な集合活動が多い状態というのは、深い眠りやちょうどいいくらいの麻酔下である(麻酔が深すぎてしまうと細胞たちはそろいすぎてしまい、若干癲癇っぽくなってくる。それを超えると、脳死状態のようになる)。だからもし断言するのならば、brainのrhythmはむしろ、脳が機能していないときの症状ではないかとすら、いえそうだ。
まあ脳リズムといってもさまざまな周波数帯のものがある。だが、これが認知や脳内の統合・統御に寄与しているというbig-furoshiki-story 2 に則って言うと、認知などとのつながりが特にいわれるリズム帯にしたって、総体的にはパッチリ覚醒している時よりはちょっと眠かったり麻酔下だったりしたほうがとりやすいのでは 3 ?(まあ、周波数帯に分けること自体、人間にとって都合がよいからといって、その分類がニューロンやニューロンの小集合体のレベルで果たしてどれだけの意味を持つのかは不明だが、そういう議論にはここでは立ち入らない。)
忙しいのに、くだらないことをだらだらと書きすぎた。本当は初夢をネタに、適当な論文を探してきて「脳科学の話題」を書こうと思っていたのだが、やっぱりあいにく精神的な余裕がない。
適当に捻じ伏せて結論に持っていてしまうと、REM睡眠と覚醒時、似た集合活動の中でも、もしも仮に、はっきりとしたある生理学的な違い(たとえば脳内ネットワークのある要素・細胞種同士などといった連関の違い)が特定できたとしたら、「それは脳の感覚を統合する脈絡だ」と言い張ることができそうだ 4 。その生理学的事象はたぶん前頭葉のほうに局在していてくれると、話を作る上ではある意味好都合だが、Gestalt生理学者としては別に脳のどことは問わないこととする。
...とはいえ、あと3、4年は少なくとも、これと関係ありそうな実験とはまったく縁がないだろう。だから、実験屋としては、とりあえずはき捨てるようにメモしておいた上で、棚上げです。
1. Presque vu?
2. これ、アメリカ人には通じません。念のため。
3. 実を言うと僕は、覚醒時の感覚関連のリズムは、認知に直接関連するものではなく、感覚がもたらす規律の後遺症ではないかという気がするのだが、あいにく哲学者ではなく自然科学者なので、とりあえず黙っておこう。
4. 偉くなる人は、こういうときには臆せず、「これが脳の感覚を統合する脈絡だ」というのだろう。「それは多くの場合感覚同士の統合と対応して観察される生理現象である」と、堅気な言い方をしていたら、誰かに手柄を掻攫らわれる?
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