[脳科学の話題] 3. 報酬・新規性・テレビ中毒
本を読んでいるとすぐ疲れるのに、コンピュータだといつまでもいつまでも続けられてしまう。テレビをみていると、いつまでも消すことが出来ない。先日テレビ鑑賞が趣味の友人と話していたら、こんな話になった。
こういう時に一発上手いbullshitをつけないようでは、脳科学の語り部(≒生物学者)としては失格である。そこで今回はこのテレビ中毒に関する示唆にも富む???お話を取り上げる。
紹介する話の概略は、<新規性のある画像を見ると、「快感中枢」のような部分が活性化する>、といったものなのだが、これに先立ち、まずはさかのぼって<ドーパミンと報酬(reward)についてのお話>、つまり、<「動物を行動に駆り立てる欲求とはなにか?」という疑問に充てられているお話>を復習しておく。
報酬に関するストーリーの発端は、20世紀中盤に大流行した分野であるneuropsychology(脳心理学?)にある。この分野ではたとえば脳梗塞などの患者をつかまえて、病巣の部位(当時は死後の剖検にて特定)と機能障害の相関関係を記述することによって、各機能の脳内での局在箇所を探求する。あるいは、動物の脳の一部を破壊してはどういう機能不全が生じるかを観察する。
(Neuropsychologyの論理では、「脳の機能は局在している」という前提から出発するため、この前提自体の正当性について本当は、決して言及が出来ないのである。極端に言うと、phrenology(骨相学)の論理と似ている、という本も最近話題になった。が、この話はとりあえず棚上げ。)
まあとにかく、ラットの脳をいろいろ破壊していたら、視床下部外側野というのを破壊すると摂食行動がなくなることがわかった。食べたくなくなる、と。そしてこの効果は、視床下部外側野全体を破壊しなくても、その視床下部外側野を通過しているある神経束だけを選択的に破壊することによっても再現できると分かった。この神経束は末端ではドーパミンという、若干特殊な神経伝達物質を発するものであった。
このドーパミン神経細胞がどうも、欲求とか報酬とかを司っているらしい1。というのでさらに発展して、ラットにえさのご褒美を与えながら芸を調教する。ドーパミンの作用を阻害する薬を与えると、薬を与えている間だけ、いくらご褒美を与えても、まるでご褒美を与えなかったかのようにラットは芸を覚えなくなる。ご褒美が欲しくなくなる、よって、芸をおぼえない、と。あるいは覚えた芸を徐々に忘れてゆく。薬が切れてドーパミンの作用が回復すると、また、普通に芸を教え込むことが出来る。
あるいは、ご褒美の代わりに、このドーパミン神経細胞を電気的に刺激してやると、それだけでどんどん芸を覚える。まるで麻薬を欲するかのように、猛烈に芸を行う。
大体こんな感じの話から、脳の中で報酬や快感を感知する系として、このドーパミン系の神経細胞が取り上げられるようになった。ドーパミン神経細胞が発火することにより快感(報酬)がえられ、これが記憶や行動に影響を及ぼしているというのがクラシカルなお話の概要である。欲求とは、このドーパミン神経細胞の発火を追求することである、という具合だ。
今では論理の逆転で、報酬といえばドーパミン、というほど、一般的に信奉されているストーリーである。
僕自身は脳血流を測定する実験は解釈が難しいことが多いと感じるため、肝心の今日のお話については、書くのが面倒くさくなった。よって、ごく簡単に流す。要するに、人間は新しい画像を目にすると、快感を司ると考えられるドーパミン神経の多い脳の特定部位が活性化する、という。
中心をなす実験では、同じ画像を何度も何度も被験者にみせながら、MRIを用いて脳内血液酸素の空間分布を測定した。ある部位に酸素がたくさん運ばれていることが検出できたら、脳のその部位が「活性化」している、というわけだ。
実験では同じ画像に、時々違う画像を織り交ぜた。織り交ぜる画像は、
(A)被験者がみたときにボタンを押さなければいけない「標的」の画像
(全く同じ画像を何度も織り交ぜる)
(B)特に反応を要さない画像
(全く同じ画像を何度も織り交ぜる)
(C)負の感情を惹起する画像(人が怒る顔など)
(全く同じ画像を何度も織り交ぜる)
(D)被験者が初めてみる新規性のある画像
(織り交ぜるたびに、新しい画像を用いる)
の4種類で、D以外の条件では同じ画像を何度も何度も織り交ぜたため、新規性のない「おなじみの」画像である。
織り交ぜたこの4種類の画像に対する脳血流反応を比べたところ、Dの場合のみ、間脳のドーパミン神経細胞が多い部位が活性化されたという。よって人間において、間脳のドーパミン系(「快感中枢」のようなものと考える)が新規性の検知にも関与していることが後ろ盾された、というわけだ。(論文の結論は本当はちょっと違うのだが、面倒くさいので、とりあえずわかりやすくこうまとめておく)
あまりに乱暴な説明だったので、あまりに乱暴なまとめをつけてしめる。動物は、外界の変化、新規性を検知するように進化してきた。新規なものを感知できたときには、快感を催すようにできている、と、こんな風にみるのも一興だ。新規なるものは天敵である場合もあれば、自分とは違う遺伝子を携えた異性である場合もある。
新規の画像が次々と目に入るテレビやパソコンは、もしかしたら快感中枢のようなものを強烈に刺激しているかもしれない。加えてボーッとテレビを観ているときなどは、消費するエネルギーが極端に少ない(睡眠時よりも少ない)ときたものだから、大変にエネルギー効率がよい快感獲得法なのである。
これにヒントを得て読書をしていても飽きない「超」勉強法を開発したが、それは脳科学とは全く関係ないので、また回を追って。
脚注
1. 実験動物の欲求とは通常、食うこと・飲むこと・交尾欲くらいである。これらの動物的欲求を人間の欲求と平行したものと考えて良いのかについては、若干とまどいを感じる方もいるかもしれない。ラットと猿とのつきあいが長い僕自身の結論からいうと、欲求のうえでは人間はなんら特別ではない、と感じられてならない。いいなおすと、ヒトは実をいうと結構くだらないことが最終的な行動の原動力であると感じる。違いはといえばただ、これらを獲得する上でヒトは大抵、動物よりも我慢強く、かつ、想像力が豊かだ、というだけで。たとえば、類人猿はもちろんのこと、猿だって相当複雑な芸ができる。ただし、<十年後に獲得できるであろうお金という象徴的な報酬を目当てにオベンキョーする>などという類の込み入ったことは、ヒトにしかできない。お金の価値は当然、間接的にではあるが、飲食目合に通じるものである。
リンク
- 記事抄録
- Television Addiction Is No Mere Metaphor (Robert Kubey and Mihaly Csikszentmihalyi, Scientific American, February 2002)
- Hooked on the Web: Help Is on the Way (Sarah Kershaw, NY Times, 2005.12.1)
3 件のコメント:
楽しく拝読させてもらってます。
テレビやネットの中毒性から
発想されたという超勉強法が
気になりますね。よければ
教えてください。
駄文をお読みいただいてありがとうございます。こちらをご覧ください、これもうさんくさいばかりですが。
ファッション誌ってのは、ヒトの根本的な快感に直結しているのだなと思いました。新規性と美人。
でも、むちゃむちゃなのとかは、あまり感じるものがない気もしますね。度を過ぎていたりすると、新規なものというよりむしろ、ただのカオスとしてのカテゴリーみたいなのに認識されてしまうからでしょうか。
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