2006/12/21

[新聞] 専門家と専門性

Can You Tell a Sunni From a Shiite?
By Jeff Stein
October 17, 2006, New York Times

米国で政治的話題の中心事項はイラクからの撤兵問題である。もはや、「War on Terrorism」というまやかしのスローガンは聞かれることが少なくなってきた。イラクという大失敗によって逆に中東問題の火に油を注いでしまい、「terrorist」や「axis of evil」の手を強めてしまったことは、どんな強硬なネオコンにとってすら否定できない状況に至っている。

その中でこの論説によると、米国の立法・行政の中心部に位置する人物が意外と何も知らないそうだ。イランがシーア派で、アルカエダやサウジその他がスンナ派であることすら、ワシントンの国防・外交政策中枢では必ずしも常識ではないらしい。「教養とは何か」とか、そういう大袈裟な話に広げるまでもなく、これは背筋の寒くなる事態である。ブッシュの阿呆も背景あってのことのようだ。

これはワシントンの政策・政治中枢に限った話ではなく、アメリカ型社会にendemicな問題であると思う。たとえば医者。日本でトレーニングを受けた人から見ると、アメリカの医者は総じて手技がへたくそだという。それもそう、多くが受け流し式で、採血から始まり全般的に専門のテクニシャンがいるという。医者は頭を使うのが仕事、というのが建前なのだろうが、PDAの診断ツールなどが発達してきてそれすらも必要なくなるのかもしれない。結局、医者の真の仕事というのは、安心感を与える芝居の役者、とでもなろうか。

アメリカはストーリーの社会であるという拙論は、何度か述べてきた。「自己アピール」とか「プレゼンテーション」とか、片仮名にするときらきらして聞こえるが、アメリカの安芝居的社会観もちょっと角度を変えてみると中身は空っぽ。往事のアメリカでは豊穣な人間性を持った役者達が芝居の道を極めていたのかもしれないが、とまれ現状はストリップショーに相違ない。それに対峙しうるのは、「真の専門家というのは地味な職人である、不言実行」という伝統的日本的価値観かもしれないが、それが必要であると分かったときにはすでに廃れ果てているのだろうか。

0 件のコメント: