[新聞] Yes we can
The Wiki-Way to the Nomination
By NOAM COHEN
(June 8, 2008, NY Times)
Discussion: Dr. Ronald Walters and Kathleen Hall Jamieson
(June 6, 2008, Bill Moyer's Journal, PBS)
ついにオバマ氏が民主党の大統領候補に決定。よほどの天変地異または大失態がない限り、大統領当選も濃厚である。
このオバマ現象についてはいろいろな解説がなされてきたが、一番面白いと感じたのが、オバマ氏が「I」から「we」へという世代のパラダイムの転換(Wikipedia、オープンソース・プログラム、SNSなどといった共同作業空間)にうまく乗じて若い世代を取り込んだ、とする論説である。だから、主要な選挙スローガンのひとつ、「Yes we can!」についても、「we」が肝心なのだそうだ。「Yes, I will」ではなくて。
今回の選挙戦のもっとも有名な選挙ビデオ(以下)だって、オバマ選対事務所が作ったものではなく、いわゆるviral videoとして、草の根の活動家が作ったものである。
Guevaraを模した以下の有名なポスターだって、支持者が勝手に作ったものを、オバマ陣営で(半ば?)正式に採用している。
その文脈でいうと、言い方は悪いがオバタリアン型のクリントン女史は、60年代型の自己主張政治で時流に乗れず、71歳のMcCainに至ってはインターネットの存在すらよくわかっていないのでは?オバマの勝利宣言に対して開いた以下の記者会見では、あまりにセンスの悪い緑の背景が話題になったし、大統領候補の公開討論会の打ち合わせで、オバマ陣営に対して公式書簡を郵送したということも話題になった(emailではなく)。
あと、McCainが生まれてから発明されたもののブログ、というのも話題になった。LPとか。20歳前半の奴らなんて、LPというものを聞いたことがないだけではなく、それが何かすら知らなかったりして。ほら、あのCDの大きいようなやつ、黒くて丸い。なに、「CDってなあに?」だって?
いずれにせよアメリカという国は、大きな転換点を迎えている。それが、現在のジリ貧を救うに十分であることを、願いつつ。
2 件のコメント:
オバマの演説、とりわけニューハンプシャーの勝利演説は素晴らしいなあ。政治家は言葉だという真実を思い起こさせてくれる。うちにもコレ、貼り付けようかなあ。
アメリカの政治家の演説ってのは、いつも練りに練って優れたものが多いけど、オバマのは交響曲のように盛り上げ、最後に「ひとつの国民、ひとつのアメリカがあるだけだ」、 Yes, we can. で締める。ヒラリーやマケインと比べ、もうまるで格がちがう。歴然としている。言葉に人格が反映されている。そこに人びとは感応している。
ヒラリーは金儲けの仕方しか教えてくれなそうだし、マケインは戦争の仕方しか教えてくれない。100年経ってもイラクで闘いつづけるんだって(笑)オバマだけが希望を語るすべを知っている。
とはいえ、多元化しようとする世界で、いまなお一元的な価値を追求しようとするかぎりで、さもなければ国家としての統一性を保てないかぎりで、合衆国アメリカの相対的な価値低下は避けがたく、オバマさんに出来ることは限られているでしょう。
それと、ドイツが20世紀科学の玉手箱みたいになっているという指摘はとても面白い。19世紀の家内制手工業みたいだった科学が20世紀に産業化した。それは政治や経済、ひいては芸術や文学においても見られたように国家という単位と密接に結びついたものだった。善かれ悪しかれ、その残り香みたいのがドイツにはいまだ残っている。
21世紀のグローバル化の進展とともに、国家という枠組みが徐々に融解し、政治、経済、科学、芸術、文学……、あらゆる文化・文明が液状化し、交錯し交雑しようとしている。ひどく新しい状況が速やかに進行していて、そこに色々な悪や倒錯や頽廃が生じている。
多元化する世界のなかで人類文明がどこに向かうのか。あるいは向かうべきか。これまでの近代文明の進化と発展のありようが根本的に問い直されつつある。科学もまた、その動向と無縁ではいられないでしょう。
>とはいえ、多元化しようとする世界で、
>いまなお一元的な価値を追求しようと
>するかぎりで、さもなければ国家として
>の統一性を保てないかぎりで、
>合衆国アメリカの相対的な価値低下は
>避けがたく、オバマさんに出来ることは
>限られているでしょう。
そこらへんについても、インドネシア(外国)やハワイ(半分外国)で育ったオバマ氏の示す方向性に期待してみましょう。中身空っぽという人もいますが、ある観点からしか見えない人格の深みがあるのかもしれません。
>21世紀のグローバル化の進展とともに、
>国家という枠組みが徐々に融解し、政治、
>経済、科学、芸術、文学……、あらゆる
>文化・文明が液状化し、交錯し交雑しよう
>としている。ひどく新しい状況が速やかに
>進行して
それを考えると、そもそもドイツという国は、文化こそ根は深いが、統一国家としてはやっと一世紀ちょっと、東西分裂時代を差し引くと半世紀ちょっとしか歴史がない。そこら辺の国家としての「若さ」と文化の根の深さがあいまって、新しい時代において魅力的な先鋒となる礎をなしているのかもしれないですね。
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