[旅日記] 小旅行2008 ベルリン(a)
もう滞在期間も、残り数ヶ月。おそらくこの地に戻ってきそうだが(ボスも是非是非というし、この歳でこんなに自由の利くポストも他にはまずあるまい)、それでも戻ってこない可能性だってある。ヨーロッパ・東ドイツに住むのは、一生で最後かもしれない。ようやく、仕事の当座の落としどころが大体みえてきたし、いつの間に、春めいてきた。これは潤沢なポスドク給をはたいて、一人旅をするにしくはない。
ベルリン、まずは近場から(といっても電車で2時間近いのだが)。
前夜1時間以上にわたってベルリンの壁について調べたので、朝早く起きてベルリン内市街の壁ルートを10キロほど歩く予定であったが、起きたら10時。無理やりArbeitをfreiにして旅行しようと決意したからには、何が何でも決行。予定を変更し、ベルリンから電車で北に40分ほどの駅にある、Sachsenhausen収容所を訪問した。


見張り塔を横目に長い壁を回ると、正門。どこの収容所も、正門のデザインは同じだったのだろうか。
「ARBEIT MACHT FREI、労働こそ自由への道」の文字は、PolandはAuschwitzの門扉に刻まれているものが有名だが、ここにもちゃんとある。
収容所の建物はほとんど残っていないのだが、それだけに、ドイツ人らしい整然としたレイアウトが、「殺戮工場」という文句を想起させる。
復元された監獄棟とその内部。10年ほど前に、ネオナチに放火されたという
鉄条網と処刑場。Sachsenhausenは政治犯なども多く、小規模で、ガス室はなかったらしい。
ドイツ人らしく、殺戮された収容者については型どおりの司法解剖を行って、死亡書類が作成されたという。ただ、あまりに多くて、一応メスで切るべきところを切り、あとは入れ歯などの貴金属を取り外すだけで、直接遺体安置所(死体遺棄所?)送りとなったらしい。なぜだかここに立って、解剖実習を思い出した。いまだに死臭が漂っているのかもしれない。
記念館の中には、東ドイツ時代の痕跡が。最近ベルリンの壁について少し読んだのだが、その東ドイツの囲い込みのメンタリティーは、収容所の鉄条網と通じるところがあるかもしれないと感じた。
...The Nazi concentration camps are best characterized by the absence of any legal norm. This vacuum caused inmates to be subject to systematic and arbitrary violence, both physically and mentally. Every single prisoner lived with the constant threat of being maltreated or killed by the SS...
---展示より、なぜか現代に響くことば
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