2008/03/04

[脳科学の話題] 発生生物学に学ぶ

新しいパソコンへの移転にともなうハードディスクの整理と、実験ばっかりやっていてちょっと疲れたのとで、ここのところ本業に全く関係のない論文ばかり読んでいる(今回の移転と整理で、ほぼ理想的なパソコン環境が整ったので、それについてはまた近いうちにメモしようと思う)。が、今日は、発生の論文を読んでいて思ったこと。



発生。はじめは一個だった細胞(卵)が巡り巡って、結局は尾ひれ手足のある動物になる。その過程では、様々なスケールの化学的な濃度勾配が関わっていることが知られている。すでに1細胞の受精卵の段階で、細胞のアタマとオシリでは、中身のドロドロの成分がほんの僅かだが、違う。

細胞の数がだいぶ増えてきて、芋虫のようになったあたりのストーリーが、一番おもしろい(哺乳類でも、発生過程では芋虫のように節に分かれている)。アタマ←→オシリの軸を決める濃度勾配(基本的には蛋白)、あるいは体節内でアタマ側とオシリ側を決める濃度勾配、あるいはもっとおもしろいのは、奇数番目の体節だけで作られる蛋白による縞模様の勾配(?)とか。こうした様々な濃度勾配にさらされた細胞たちは、いろいろな分子の微少な濃度差に反応して、たとえば自らが5番目の体節のオシリ側に位置することを知り、5番目の体節のオシリ側なりの発生を遂げながら増えてゆく。またさらに、この細胞たちも5番目の体節のオシリ側なら5番目の体節のオシリ側に適切な信号蛋白を合成しする。その拡散によってさらに局所的な、5番目の体節のオシリ側の内部の局所濃度勾配が形成され、さらに細かい位置情報を娘細胞たちに供与する。

若干乱暴にまとめると、現代発生学は、こんな感じのストーリーだ。大局的な濃度勾配に沿って逐次、より局所的な濃度勾配が形成される。このフラクタル的な繰り返しの末に、最終的には、小指の先の汗腺の細胞は小指の先の汗腺の細胞になる。



で、脳。僕の世代の直面する大きな問題の一つとしては、「一方で脳はどこを切っても、局所的にはおおよそ同じような組織構造の繰り返しであるにもかかわらず、他方では、大局的には視覚野・運動野などといった局在性もはっきりしている」。

今日ばったり、コーヒールームで大ボスの舎医費(仮)にあったら、部門の上ッ蔓博士と舎医費とでやっていた聴覚野の左右差に関する論文が、ちょうど今日、通ったらしい。この論文、相当挑戦的(挑発的?)な内容なので、受理された雑誌は上の中にとどまったが、仮に実験結果が本当だとしたらホームラン級であることは間違いない。というか、そのストーリー、20年は優に持ち堪えるだろう(本当に革命的な論文は、N誌やS誌ではないことが多い)。

この左右差にしたって、その機序や意味合いについてはほとんど知られていない。左の聴覚野と右の聴覚野なんてそれこそ、組織標本をみても、ヒトの高等な脳ですら統計的に皺がちょっと違うくらいで、心臓の左右のように、目に見えてはっきりと違うものではない。標本での判別は難しくても、ヒトの言語機能は、ほとんどの個体(個人)において、左側にはっきり局在している。たとえば、左側の当該部位を梗塞でやられると、たいていのひとは話せなくなる。



そういった、脳の大局構造と微小構造のギャップを、ちょうど発生学と同じようなスタイルで繋げたら、恰好いいとおもう。もちろん、そのときの統一概念は、遺伝やタンパクではなく、神経回路の機能動態パターン(の勾配)、ということにしたいのだが。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんにちは。
初めてコメントします。
(うまく投稿できるかな?)

発生生物学と脳の機能局在性(領域化)についてと言う話題だったので、以下の論文を思い出しました。

COUP-TFI regulates the balance of cortical patterning between frontal/motor and sensory areas.
Nat Neurosci. 2007 Oct;10(10):1277-86.

大ざっぱに説明すると、KOマウスの表現系から脳後方の領域化決定因子だと思われていたCOUP-TFI遺伝子(核内レセプター)が、cKOマウスの解析により領域化決定因子ではなく、モルフォゲン様のパターン決定因子である可能性が濃厚になってきた、というネズミ屋さんの論文です。
視床からの投射先なども対応してドラスティックに変わるよ!、という話しなのですが、脳機能と投射先の議論は専門外なので理解できていません。

シフトして過小形成された聴覚野、視覚野が生理的に機能するのか、という実験が抜けているので生理学的意義は微妙かも知れません。
(一応、そこを少しだけ?フォローした続報も存在したような…。)

ご参考まで。