2007/10/13

[実験屋日記] マイスドルフ研修旅行(2): 城

研修旅行の中日は午前中のセッション終了後、技官や事務の人たちや電子工作室、機械工作室のおっちゃん・あんちゃん達もみんなバスに乗ってマイスドルフまでやってきて、みんなでおいしい昼ご飯を食べてから近くの山上の城を訪れた。

ちょっとしたハイキングだったが、ホテルの門を出るあたりで、所長にして大ボスの舎医費(仮)がつかつか、と寄ってきて、ずっと一緒に登ることになった。日本文化とドイツ文化の類似点・相違点について、あるいは東アジア情勢について1時間ちょっとの行程、ずっと和気藹々と話すことができた。こういうのを、世の中では「Arschkriecher(おべっか?)」というのかもしれないが、別に僕から所長に寄っていったわけではないし、所長が日本びいき 1なのも、僕にはいかんともしがたい。

舎医費は、ドイツの教育水準の低下を嘆いていた。世界ランキングで50位を切ったとか何とか。ある科目では、なんと、アメリカより下らしい。何で日本はまだ、何とか持ちこたえているのだろう、というところから始まって、アメリカの没落を世界はどう乗り切るか、中国が世界を使い捨てのように食い物にするのではないか、とか。

「日本はなぜか、アメリカ文化を取り入れながらも、どうやら日本らしさを保っている。そこへくるとドイツはすっかり文化が失せていてこれは危機的だ」と舎医費はいう。「日本は2000年間、大陸文化の吹きだまりで、だから、人真似をしながら自分らしさをたもつ文化が伝統的に培われてきたのだ」といったら、おもしろがっていた。



森の中の要塞だか教会だか





城内では鷹狩りショーが。寂れた観光地は日本もドイツも、雰囲気が似ている。観客の頭上すれすれを飛ばせていたのだが、うまく写真には収まらなかった。


内城の中庭


城内の生活


コンパクトカメラでは暗すぎてうまく撮れなかったのだが、城の棟のなかの牢獄。20メートルほどはあろう、深い穴。今でこそ照明がしてあるが、当時はきっと薄暗くて、パンの耳とかしか与えられずに栄養失調で、ドイツの冬は寒いし、本当に気が狂ったであろう。Guantanamo Bayの拷問収容所なんて、これと比べたら天国のようだ。まるでお伽噺のようだが、本当にこんなのがあったのだ。


トイレ。残念ながら使用禁止。トイレットペーパーならぬ、トイレット藁も用意されている。痔とかかぶれとかがひどそう。


人を殺したら、やっぱり、懺悔しなくてはならない


城の棟から見下ろす、Harz山脈の絶景。




1. しかし、東アジア勢の優勢なアメリカの医学・生物学界からこの東ドイツの地にきて、何が一番びっくり、というと、東アジア人は研究所全体で僕一人。インド人は何人もいるが。

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