2007/09/03

[実験屋日記] Power play

われながら、ちょっといやなやつだ。



僕の実験装置がある部屋の隅に、行動学実験の装置がすえてある。しばらくあまり使っていなかったものの、助教の呆留我(仮)と院生の栗酢(仮)が、再びこの実験を開始した。

部屋は広いわけではないし、こっちが手術をしたり、ドタバタしたり、電灯をつけたり消したりしていたのでは、むこうは実験にならない、というのは行動学をやったことのない僕ですら痛いほど分かるので、しばらくは実験の時間をすり合わせて、融通を利かせてあげていた。

ところが、1日2時間の行動学実験を、来週からは4時間にするという。こっちの予定などお構いなし、突然のことに、一瞬「は~?」。ただでさえ、13:00~15:00のゴールデンタイムを融通してあげていたのに 1、今度は13:00~17:00だという、それはこっちに、仕事をするなといっているようなものだ。ドイツ語も話せないガイジンと思って、なめているとしか思えない。特に助教の呆留我。栗酢は悪いやつではないと思うが、ちょっと抜けているところがある。



研究所長の舎医費教授、僕の働いている3階の研究部門長でもある 2。ボスの腐乱苦(仮)は形式上は独立しているが、腐乱苦は3階のほとんどの人同様、舎医費門下なので、機材・資材はみな融通して大講座をなしている。しかも舎医費は、政治的なことや金取が超絶技巧らしく、腐乱苦以外はほとんど、舎医費のすねかじりだ。それで、この研究部門(および研究所)は大いに潤っているのだ。

その舎医費教授、帝王のように思ってはならない。もちろん3階の人は誰も、逆らいはしないが、かといって細かいことに口をいちいち突っ込むような人でもない。3階の人たちはドイツもさることながら、世界的に見てもとてものびのびとしたリベラルな空気のなかで自由に研究している。

しかも舎医費教授、以前にも日本のグループと共同研究をしたり、日本びいきである。しかもしかも、ドクトル舎医費は医師としてもトレーニングを受けた基礎研究医で、表には出すまいとしながらも、医学教育の中で刷り込まれる特権意識はどこかしら健在である。僕が医学生と知って、しかも、基礎研究を目指していると知って、話し方がちょっと変わった。

その舎医費教授。少し70年代の若いころにさかのぼって論文を読むと、実に多彩な分野について、油の乗り切った実にリッチな研究歴を持つ、ルネッサンス人だ。歴史から、研究の話から、立ち話を始めるとその懐の深さは歴然である。



さて、呆留我助教の迷惑実験に話を戻そう。呆留我が勝手を言ったその日の夕方、コーヒールームでドクトル舎医費とばったり出会って、立ち話となった。

ドイツで今、研究所長クラスの有名な電気生理学者は多くがCreutzfeldという有名な先生の門下で、舎医費もそうだ。しかし同時に、舎医費はBullockという、僕も崇敬するカリフォルニアの電気生理学者にも学んだ、ということが立ち話の中で判明。Bullockの主な仕事は無脊椎の神経生理学だが、それを元に哺乳類についても、実に鋭い考察をたくさん残している。哺乳生物学をやっていて、Bullockの論文をきちんと読んだことのある人なんて、自慢ではないが、今時そうはいない。Bullockなどにちなんだ昔話で、小半時、コーヒールームで盛り上がる。

ところで、ドクトル舎医費... 僕の実験なんですが 3...

結論として、呆留我の実験装置は僕の部屋から、女子便所の向かいの使われていない物置に移設することが決定した 4。基本的には人と仲良くしたいし、3階での基礎的な人間関係は良好に築けた。だがね、邪魔されたら僕は鬼と化すのですぞ。そう、僕は実験屋。実験に対しては愛とこだわりがある。

もっとびっくりしたのが翌日、呆留我にこのことを告げに言ったら、すでに舎医費先生からお達しがあった、という。まあしょうがないか、と達観した様子だった。こちらとしては、「部屋の掃除とか重い装置の移転とか、手伝いますのでいつでも呼んでくださいね 5」としかいえない。別に意識してそこまで強硬なpower playを行ったわけではないのだが。それにしても舎医費教授の根回しがもともと細かいだけなのか、それともやはり、僕の実験に対して大いなる期待を抱いているのか。

その期待は裏切れない。

(2007.9.1記)



1. その13:00~15:00ですら、断りもなく勝手に変更してくる。

2. 福沢諭吉ではないが、3階ではこの人だけ、「ドクトル舎医費」と姓で呼ばれている。ほかは、ファーストネーム。

3. 僕の機械は腐乱苦の金で買ったもので、僕の給料もフランクが出しているのだが、舎医費先生も僕の実験に興味深深である。会うたびに進展があったか聞いてくる。こんどの科研費が終わったら、実験をみせてくれ、とまで言ってきた。舎医費は実験屋根性の抜けきれないタイプのボスで、きっとお膳立てしてあげて簡単な実験をやってもらったりしたら、喜ぶだろうな~。3階の人は、みな、舎医費・腐乱苦が二人とも僕の実験に対して相当の期待と興奮を抱いていることを、知っている。だから、呆留我なんかは、あまり面白くないのかもしれない。悪いね、呆留我。

4. 実を言うと呆留我の実験にとっても、この物置のほうが都合がよい。行動学実験は静かで条件が一定なのが肝心だが、僕の部屋はどうしても人の出入りがあったりするし、窓があるので照明も一定ではない。だから、僕がその物置の存在を舎医費教授に指摘してそこへの装置移設を提案したら、彼は、ああなるほどそれは妙案、といった具合であった。舎医日先生いわく、いつも場所が足りないといって困っているが、あそこを使おうとは、誰も考えもよらなかった。さすがは狭い島国の日本人、場所に対する嗅覚が鋭いね。

5. 実験の邪魔さえされなければ、喧嘩を売るつもりは、まったくない。

1 件のコメント:

Mark Waterman さんのコメント...

医者だからドクトルと言われているのだろうが(ねっ、医者だといいだろう)、どの分野でも、どうせDr.だらけなので美瑠とか馬瑠句と日常は言う。高名な先生には、流石にタメ口はきけないので Dr. Doe とどうしても言ってしまう。ただし、Gawky といつも呼び捨てにする先輩や先生たちも、学会発表のような公式の場では、Dr.(えっ、何だったっけ?)と丁寧に呼んでくれるはず。逆に、いかに親しい友人でも、公式の場でのコメントや質問のときは、Dr. Waterman のごとく言うべき。

さて、実験の場、よかったですね。機械一つでも共有する場合は、人間的な関係が大変です。Gawky さんは心配ないのでしょうが。アメリカの政治より、こういった実験室政治のほうがおもしろく読めます。

MWW