2007/08/21

[ドイツより] 夜の研究室

マスターの学生のヘルゲン君。ゲッチンゲンから1セメスター(半年)だけここにきて、居候で実験しているという。彼の使うのは凍結切片の切削機だが、昼間は2台とも研究室の人が使っているから、と、夕方から来て実験している。シーンと静まり返った夜更け、実験室の扉を開けておくと、いつもガラスのプレパラートをカタカタさせる音が聞こえてくる。年寄りにはわからないが、どうやらいつも、朝方までやっているらしい。でも、共同研究だし居候だから、夜だけというわけには行かないのだろう、昼間も実験室で人に教わっていたりするからたいしたものだ。大学のころは、僕も、似たような無理をしていた。

ドクターの学生のイメルダさん。彼女は見た目は20代中盤だが、実は僕より一回り年上で、teenageの子供もいる。なのに、夜更けにまたひょこっと現れたりする。彼女はどうもあまりいいテーマをもらっていないようで、苦心惨憺の様子がありあり 1。助けたい気も山々だし、この研究所(この国?)ではポスドクがそういう役回りを果たすことが多いようなのだが、あいにく分野がだいぶ違って、何をやっているのかは把握できても、いわれたことにフムフムと耳を傾ける以上のディスカッション相手にはなれない。中長期的にはそこら辺の幅も広げたいところだが。



生物学は全般的に体力勝負、という面の強い学問でもあるが、そこら辺を履き違えた人がかっこいいと思って入ってきたりすると、変な上っ面の屁理屈のような学問が横行する。そんな観念的な「チョチョイノチョイ」で生物という複雑系が料理できるはずがない。別の言い方をすると、そんな簡単に話がつくような生物学は、20世紀に、あらかた食い尽くされているのだ。

ある局面では実験に対して修行僧のように無心に、ただただ実験をしならなきゃならないのだ。といっても、楽しくてやるわけだから修行ではない。楽しくない人はよしたほうがよろしい。



別に僕の研究には直接関係ないが、こういう空気が流れているところにいると、悪い気はしない。そして、なんとなく自分もやる気になってくるものだ。





1. ボスの腐乱苦(仮名)は、若いのに恐ろしいくらいものをたくさん読んでいて博識で、あのくらいの年にあのくらいまでいけるだろうか、と考えてしまうような学者だし、少し前までは一線の実験屋だったのだが、学生の面倒や日々のマネージメントには難があるといわざるを得ない。どうもそこの帝王学のセンスは大変に鈍いようだ。あるいはドイツは、ボスと研究室が完全分離するような、そういう傾向があるのかもしれない。僕の見ただけでもドイツ人、このパターンは1例目では決してない。腐乱苦は紙書きが上手くて今はお金もあたっていてとてもよいが、早くよい番頭さんを捕まえないと、大変だと思う。上手くそれで回りだしたら、彼は大学者となるだろう。

(2007.8.14)

1 件のコメント:

Mark Waterman さんのコメント...

>どうやらいつも、朝方までやっているらしい。

薄暗いところでたくさん並べたシャーレに(そういえば灰皿もシャーレであることには違いないが)火を点ける作業を一心不乱にやっている人を見たときに、「こいつドラキュラ伯でなくてドラキュラ博か」と可笑しくなったことがある。ご苦労様。MWW