2007/07/22

[旅日記] 原点への回帰(5) 比叡山の修行

夜は、学会に来ていて宿もともにしている父の主催で、同じく学会に来ていた教え子二人と、Harvard Square近くのレストランで夕食をともにした。そのうちの一人は僧籍を持っており、大学教員となった今も、お盆は実家の手伝いで檀家回りをしているという。大学生の頃行った比叡山での修行について、いろいろとおもしろい話を聞くことができた。こういう、extended familyみたいのが、象牙の塔のもっとも魅力的なfeatureのひとつである。



僧侶になるための入門編は2ヶ月で、ご本人は一番甘っちょろい修行だというのだが、聞いていて恐ろしいくらい厳しい。詳しくは覚えていないが睡眠時間が数時間しかない上に、その当人は仏教系の大学に行ったわけでもないので読経がおぼつかなく、さらに睡眠時間を割いて毎晩懐中電灯下で練習せざるを得なかったとのこと。食生活も完全菜食の低カロリー食で、結局みんな幻覚を生じるそうだ。でも、その幻覚が意外とみんな共通していたりするものだから、本当に信長に焼き殺された僧の霊が、宿っているかもしれない……。

「宗教体験は幻覚である」というstatementは、決して宗教体験を否定するものではない。科学的にはどう考えても幻覚としか分類できないことでも、この行は1000年以上にわたって幾多の修行者におなじような「幻覚」をもたらしており、そんな再現性が科学に真似できるかといったら、決してできないのである。

12年間、毎日毎日、ただ無心に最澄のお堂を掃除して世話をする修行とか。最上級編になると、1000日間だか、毎日毎日ひたすら比叡山の重要ポイントを巡って祈る30 kmだかのコースを回る修行があるのだという。あるいは9日間、飲まず・食わず・寝ずに呪文を唱え続けるのだそうだ。ここまでくると、現代の生理学には、とてもではないが手に負える代物ではない。

こんなことを聞いていると、実験屋ののうのうとした生活なんて天国であり、日々の問題などたいしたことはない。もっとしまってゆかねば。あと、「小僧さんの頃から実家の手伝いで、檀家のお婆さんなどに今でも良くしてもらっている」といった話もあり、仏教とはほとんど無縁の僕でも、何となくわかる気がした。お寺さんでも、ちゃんと家を継ぐパターンと反抗して離れるパターンがあるようだが、僕は、実験屋小僧から素直に坊主になった口なのだろう。

(つづく)

0 件のコメント: