2007/07/22

[旅日記] 原点への回帰(4) Cambridge散策

通常Bostonと一体として認知される、Cambridge市。中心部をHarvardとMassachusetts工科大学が占めており、左派よりのBoston圏でもとりわけ左傾的な知識人の町である。普通、他人には、Boston生まれを自称するが、実を言うと、僕の生まれはCambridgeなのだ。そこには特定しがたいが、nuanceの違いがある。

余談だが、Boston行きの飛行機に乗っていて、ひとつはっきりと認識したことがある。同じ白人でも、Boston圏のgene poolは特色を保っている。Boston行きの飛行機の顔並みは、すでに、Bostonの町を歩く顔並みなのだ。基本で最多なのは、カトリック系ヨーロッパ人、つまり、アイルランド系、イタリア系、ポーランド系、そして若干のドイツ系。そのほかについてはWASP系にしてもユダヤ系にしても、学者面が多くを占める。



今日は、Cambridgeをぶらぶら散歩して、Caféに入って仕事したり、Harvardの書籍部で立ち読みしたり、という一日を過ごした。

やっぱり、町の息づかいが、学者にとって心地よい。Caféで仕事をしていても落ち着くし 1、本屋も、とても立ち読みのしがいがある。自分の分野の直近の本についてはもちろん、ほとんど把握しているが、ちょっと離れるとそうもいかない。また、よその分野の動向を知るには、よい本屋での立ち読みが欠かせない。とりわけ脳科学は、生物の中でもストーリー性が高い分野で、あと、様々な分野を人為的にキメラ化したものなので、時代の総合的なnarrativeに敏感であることが求められる。だいぶメモをとったので、初のポスドク給はほとんどAmazon.deに上納することとなろう。



これを書いているのは実を言うと27日、すでにドイツに帰???国後だが、奇しくも戻ってきて最初に読んだのが、

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村上春樹 著
やがて哀しき外国語

というエッセイ集だ。ここでの話に関連していうと、実に的確に、アメリカの学者のスノビズムの本質をとらえていて、しかも、10年以上も昔にかかれた文章であるのに、現在のアメリカの軌道を正しく予期している。あるいは、-ismに振り回されやすいアメリカの体質、アメリカの文化的空洞化など、たいしたものだ。ドイツにしばらく渡るのは、「自分と自分の行く末を客観視する機会」とも考えていたので、実にaproposといえる。

ちなみにこの村上氏のエッセーに共感を覚えるのは、同時に、僕自身が20代も終盤にさしかかって少年よりは中年に近づいてきたということもあろうし、あと、アメリカで日本人の親に育てられたという意味で浦島太郎であり、ある意味では日本的自我は確実に団塊の世代に軸足を置いている、ということも関係していると考えられる。

(つづく)





1. Washingtonのカフェは、高めの店は政治がらみの人達の威圧感でどうも、おおぴろげに勉強する雰囲気でもないし、安めの店は近場の若い大学生ばかりで、若すぎて、予備校の自習室のような浮ついた雰囲気がある。

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