[雑記] 中国旅行記(3) 囲いこみの文化?
前回は、中国の商業主義にびっくりした話を書いた。今回は無謀な中国文化論を試みる。
旅行中に強く印象に残ったのは、中国がいちいちスケールが大きいということ(写真:万里の長城)。史跡巡りが中心だったからそう感じたのであろうか。でも町並みも何となく、語感でいうと「大風呂敷」とかに類するものを感じた気がする。それは単に人が多かったからか、思いこみなのか。いずれにせよ、月並みになるが、ああいう触感は日本を旅していては得られない、大陸的なものといえよう。
しかし今回旅行を思い返して写真をぱらぱらとめくっていたら、ふと、北京で見学した胡同(hutong、=?下町、写真)を思い出した。オリンピックなどに向けてほとんどを取り壊し中であるが、一部だけ観光用に残してあるという。家並みが灰色で塗ってあるせいもあるのだが、どうもあまり住みたいとは思わない。日本の下町と根本的に違う、closedな雰囲気があり、家々は外向きには門と灰色の壁を出しており、民家は外向きの窓が多くない様子であった。窓は基本的に、門をくぐって壁の内側にある、中庭に向かっているようだ。
ふと思ったのだが、中国文化は「囲い込み」の文化ととらえられはしないか。万里の長城もスケールはでかいが、「this land is MY land(, not your land)」という感じだし、庶民は庶民で自分の縄張りを囲い込むような建物が伝統的であるという。卑近な話、うちのボス(中国人)も外的には自由だが、学問のレベルではどうも人を自分の枠に押し込もうとする嫌いがある。その枠が万里の長城だったら文句はないのだが。
(完)
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