[本・一般]●●●●○ 世界級キャリアの作り方
世界級キャリアのつくり方
20代、30代からの“国際派”プロフェッショナルのすすめ
黒川 清、石倉洋子
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中毒とは恐ろしいものである。昨日大学構内のコーヒー売店の前を歩いていたら、強烈な焙煎の香りが嗅覚野をくすぐったかと思うや、一瞬ふらふらっとして、気づいてみるとコーヒーをすすっていた。まあ、最近は顕微鏡下の手術はしていないので、少々飲んでも差し支えないのではある(敏感なのか、コーヒーを飲んで2日以内は、手がかすかにだが震えてしまう)。
ここ半年でコーヒーを飲んだ回数はおそらく5本の指におさまる(Decafを入れたら10本の指か)。だから、感受性が高まっているのか、横になってもいっこうに寝つけない。致し方なく書きものをしていたが、2時を過ぎるとさすがに仕事のペースも鈍ってきたため、友人から借りていた本書を斜めに読んだ。
人間は自分の生き方を肯定されたと感じると、気持ちよくなる。私はその傾向がどうも人一倍強いらしい。だから、「世界に飛び出して勝負せよ」などという類の鼓舞激励を受けると、5年前に日本と縁を切る覚悟で飛び出してきた心細さを糊塗するかのように、気持ちはとたんに膨張する。カフェインはさらに誇大妄想の潤滑油となる。その気持ちよさに乗じて、本書を大いに楽しむことができた。It was, without question, an uplifting and inspirational read.
しかし、何かおかしい。本書を読んでいて、何かしっくりこないところがあった。しばらく考えた末にそれは、<establishmentに身を置く年長者が革新を呼びかけている>という構図の逆転からくる不自然さによるものだと思い至った。歴史をみれば普通、波風を立てるのは若者と相場は決まっている。(「チャレンジし続ける人はいつまでも若い、筆者らはその意味で真の若人なのであろう」式の月並みなおべっかは、ここでは使わないこととする。もちろん、完全なる嘘であれば、おべっかとしては成立しないのだが。)
若い世代が覇気なくだらしないから年長者に活を入れられているのだ、というのなら、それはそれでしかたない。しかし気がかりなのは、もう一つの側面、筆者らの議論があるhubrisを含むものかもしれないという懸念である。もしかしたら筆者らは、自らが旧来の日本の安定的な社会体制の恩恵を被っていることに気づかずにそれを「打破せよ」と命じているのではないか、と。仮にそうであるとすると、号令の通りに旧来の社会体制を打破してしまったら、私たちの時代になったら「国際プロフェッショナル」などといっていられる状況ではなくなるかもしれない。仮に日本の20~30代がみな本書のような指向を持ちはじめたら、日本社会は直ちに破滅するのではないか。
American-born Japaneseとしてそして帰国子女として、生まれてこの方ずっと二つの自我の[落としどころ」を求めて彷徨ってきたものの立場からみると、このところ盛んな「日本のあり方」論は、日本特有のinferiority complex・自我の不安定に根ざしているような気がしてならない。「美しい日本」にしがみつくも、声高に「国際化」を叫ぶも、その根底の精神構造は共通してはいないか。前者は、国際化という黒船に目をつぶる嫌いがあり、後者は、ルーツを忘れて空回りする嫌いがある、という違いはあるにせよ。この議論は、より高度なsynthesisに向かうべきだろう。さながら帰国子女のidentity crisisのように、折衷に到る道筋は険しい。とはいえ、宇宙人すらも英語を話すStar Trekのようなユートピア(ディストピア?)が実現するまでは、人は特定のculture(s)に根ざした存在であり、茨の道は避けられない。
万人に共通な最大公約数のような「国際」文化というものは現在のところない。「アメリカ」文化とも違う。よって、人格形成における文化の根の深さを考えると、「国際人」という表現はある意味で言語撞着である。むしろ、インド人はインド人として、華僑は華僑として、ユダヤ人はユダヤ人として、日本人は日本人として、日系アメリカ人は日系アメリカ人として、それぞれのルーツに立脚した上で、NY TimesのFriedman氏が唱える平たい地球に踏み出さねばならない。特に平たい地球と互換性があまり高くないと考えられる日本人だが(1)、それだけにその平たい地球に踏み出すには、日本人の日本人たる所以、日本社会の日本社会たる所以について、真摯に、自己という存在感の全てを懸けて、必死の検討を加える必要がある。どの部分は切り捨てて良いのか、そしてどの部分は死守すべきか。著者らには、忘れられがちな後者にも考察を加えてほしい。この見極めこそはまさに、長老達の重要かつ正統な役回りといえるだろう。
(1)平たい地球と互換性があまり高くない、と書いたが、「関西人」と「強い日本のオバサン達」に関しては、必ずしもこの限りではない気がする。特に前者については全く知らないが。
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