[実験屋日記]学会日記(1-1) 学会というもの
本日より3日間、京都の国際会議場で日本神経科学会に参加。学会は、実験屋の本業と関係ないようでいて、実はおおいに関係がある。というのは、実験屋稼業の成否は、最終的にはコネに帰着するからだ。(ここでは話の都合上、アイディア獲得・奪略の場としての学会の性質は無視する。)
実験屋稼業の成否を決定する本質的な要因とは、本来は、実験の腕や学問的な見識・創造性であろう。しかし現代の先進国の研究現場では、カネがものをいう。カネさえあれば、腕や見識がなくとも、優秀なポスドク(研究員)や学生が集まってくる。カネがなければ、いくら腕やアイディアがあっても、肩叩きにあうだけだ。普通の条件下では、カネとは、どれだけ国の科学研究費を獲得できるかということとおおむね同値である。そして、日本の事情はあまりよく知らないが、少なくともアメリカでは、「国の科学研究費獲得」の一番の要因は、最終的には、実験報告の論文が有名雑誌に載っているかが大きい。
科学研究費の獲得にしても、その前段階と位置づけた投稿した論文が有名雑誌に載るかにしても、コネに帰着する部分が大きい。というのは、この両者とも、同僚の学者からの評価が決め手なのだ。ところが、科学分野が細分化されている現在、同僚といっても、よっぽど近い分野の人でなければお互いのやっていることはなかなか理解できない。理解できないけれども評価はする。また、科学者とて人間だ。結局のところ評価基準は、無意識的であれ、感情的になる。感情的な人気投票では、顔の広い人や「みんながすごいと思っている」と思われる人が勝つ。コネのある人が勝つ。
こういうコネスジに入るため、学会という、相互オナニズムのおだてあいの輪に入る日も遠くないのであろうか。
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