[本・脳] ●●●●● The Growth of Biological Thought (生物学的世界観の変遷)
The Growth of Biological Thought: Diversity, Evolution, and Inheritance
Ernst Mayr
[www.amazon.co.jp ]
現代生物学は亜工学的なふりをしすぎて、生物の本質を見失っている。そして生物を細胞の塊としか見なさない分子「生物学」の時代、あるいは脳を個々の脳細胞の集合体とみる「脳生理学」の時代は、黄昏を迎えている。
かといって、そこにvitalismのようなものを持ち込むのは、かたや時代遅れともとれるし、第一、自然科学のルールにははっきりと反している。あくまでも自然科学の方法・生物学の方法で、この問題は乗り越えなくてはならないのだが、それには、この生物学の方法の本質についてよくよく再検討する必要がある。
ここには潜在的に、巨大な軋轢があるのだが、それに気づいている人はごくわずかの様子。
僕の世代の生物学の本質は、ここらへんの矛盾の解消へと向けられるべきであろう。それを考える上で、1982年に出版された本書の第2章が、この上なく参考になる。Mayr氏は1980年代の、分子生物学的有頂天のまっただ中 にあって、今にも通用する生物学論を地道に展開している。Starwarsではないが、「博物学者の逆襲」てな感じ。平明な言葉で、現代生物学の問題点を実にうまくまとめている。
50ページ足らずの章なので、咀嚼の足しにするために訳そうかと思うほど。ただ、母語としてはすらすら読めるものが、理論的思考に優れているはずのドイツ人の友人は、文構造が長くて読みにくいといっていたので、まともな日本語にしようと思ったら、相当時間がかかるであろう。そうでなくとも、そんな時間はない。
ぱらぱら読み返しながらちょっとハイライト...
- 生物学は法則中心(物理化学のように)ではなく、概念を中心になりたっている。
- 概念は、法則のように、直接的に証明できるとは限らない
- (たとえばある恐竜の化石標本と別の恐竜の化石標本が生物学的に同種のもであるかどうか、つまり、交配可能であるかどうか、は、証明不能である。だからといって、そのふたつの恐竜標本をくくる概念が無意味であるということにはならない)。
- だから、科学方法論・科学哲学(これらは物理化学に基づいている)を生物学に適用しようとするのはナンセンスだ。
- 生物の本質は個体の多様性である。物理化学のように、対象の一様性ではない。これが現代生物学の本質だ。
- たとえば進化論という現代生物学の端緒たる大革命は、プラトニックなessentialismによる「平均個体・理想個体の生物学」を否定し、populationの中の個体形質の多様性に注目したことに端を発する。
- 生物学の概念[concept]は、物理化学の概念[concept]には還元できない。
- これは、物理化学の裏付けを否定するものでは決してなく、非科学的・超自然的なvitalismを持ち込む必要も、根拠も、全くない。生物学の過程[process]の裏付けはもちろん、物理化学的過程[process]なのだが、生物学の概念[concept]と物理化学の概念[concept]は、直接に結びつけることができない、というだけ。
- たとえば、物理化学の定量的世界観も、数学の過程[process]に従って展開されるとはいえ、数学の概念[concept]に直接結びつけることはできない。
あるいは出現性[emergence]に関連してこんなたとえはどうだろう。量子力学者が、「俺は気象の研究をしているのだ」といったら馬鹿にされる。過程[process]の上では、すべての科学者が間違いなく、気象現象も量子力学の上に成り立っていると考えはするのだが、でも、学問の概念[concept]のレベルで量子と台風をつなげようとするのはナンセンスだ。でも、神経細胞のシナプスの変化を研究している人たちは総じて「俺は記憶の研究をしているのだ」といって憚らないし、それを疑問視する声もあまり表だっては聞かれない。量子力学も、シナプス研究も、それらはそれらなりに重要だが、あまり大風呂敷を広げすぎると、非科学的なナンセンスになる。
8月からはワシントンに戻ってまた医学生。卒業後、臨床研修をするか直接研究に進むかどうかなど、そろそろ次のことと学者人生全体にも考えを巡らせなけれ ばならない。そのうえで、この1982年の本がこんなに参考になるとは思いもよらなかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿