[旅日記] 帰省 2007/11 (9) 翼よ、あれが伯林の灯だ
リンドバーグは巴里だし、ちょっと調べたところによると、あの名台詞も日本人の発明らしい。あらためて考えてみると、確かに、どう捻っても英訳不能。無理にアメリカ人にそんなことをいわせたら、まるで分裂病かなにかみたいにになってしまう。
いずれにせよ、コペンハーゲンから伯林までは、SASの外注でDanish Air Transportというローカル会社のプロペラ機 ATR 42。アメリカの短距離路線ではまったく見かけない機種だ。
1時間の飛行なのに、SASのサービスでオープンサンドとコーヒーが出た。経費節減のご時世、たいしたものだ。まあ、金銭的にはそれほど値の張るものではなかろうけれど、おいしかったし、久しぶりのSASも総じて好印象であった。
しかし、不思議なもので、ベルリンの空港から駅までのバスの中で、はっきりと、「帰国」の実感がした。マグデブルグについたのは夜中過ぎだったが、この田舎町もさらに、不思議と愛着がわいてきたものだ。
しかし、人間は土地に根付いた生き方をしたときに、初めて生きた心地がする。ワシントン・鎌倉・マグデブルグ。三カ所も「家」と呼べる土地があると、そこら辺の体内時計みたいなものが相当混乱してきた。11月は3カ所とも通過したわけだが、どの土地でも「ただいま」と家に帰る安心感を感じるとともに、妙な分裂感が否めない。はやいところ、ワシントンは決着をつけて、ドイツ生活に移行するべきか。でももう2年間はワシントンで病院実習が待っている。では、ドイツ生活は夏一杯できっぱり足を洗うか。とても迷うところである。
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