[本・一般] ●●●○○ 本気で言いたいことがある
Magdeburgは工業都市。中世の教会を一通り観光してしまうと、あとは、何もない。春先に論文の目途が立ち始めたら、国内旅行もしたいし、せっかく東ドイツにいるわけだから、旧東ブロックにも冒険してみたい。でも当分はちょっと、旅行どころではない。論文も書かなければならないし、11月頭には、学会で発表しなければならない。だから、北緯50度の秋の夜長には、読書がもってこいなのだ。
専門の本を読んでいないわけではないのだが、どれも専門に過ぎて、感想文にしにくい。だからブログは、寝る前に読んでいる一般書のことばかりになってしまう。

さだまさし
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さだまさし。この人の文章は、この人の歌詞と一緒で、特に「うまい」、というものではありません。むしろ、流れもなく、下手糞だ、という人もあるだろう。なぜならば、文脈があちらこちらにとびまわっていて、ストーリーのすじがはっきりしないのです。たとえば、ゆでるときにまぜ方がたりなかった素麺とにていて、ところどころ引っかかるけれども、食べおわってみると、いつのまに食べてしまった、という感想だけが残る。とはいえ、「本気で言いたいことがある」という気持ちはじゅうぶん伝わるし、「本気で言っている」という印象も受けることは、間違いない。歌を聴いていて、なんとなく、分かる気がするような。
たしかに問題の指摘はほとんど、ごもっともでしょう。しかし、ではどうすればいいのか、というところになると、すこしだけれども、肩透かしにあった気になります。百歩譲ってみんなギターを片手にうたをうたったとしても、地球は平和にはならないと思うのです。だれのギターがいちばんかとか、どの調律でひくかとか、きっとけんかになる。日本人がみんな、大正時代くらいまで逆もどりして日本的ないい人になればいい、ということでもないですよ。
いまの社会は、人間のみにくいところをうまく引き出すような、絶妙なつぼにはまっている。人間はうつくしい、とうたっても、その事実はかわらないのです。人間のみにくさを、どうやってみんなでねじ伏せておさえこもうかという終わりなき闘い、それが「文化」というものなのであって、文化の一端をになっている歌手などは他人事で済ますべきではないです。たとえばバイオリンをすててギターを手にした、そんな6、70年代的なあきらめの姿勢が、もしかしたら、本来は保守的な決まりごとに支えられている「文化」という仮構の衰退を、端的に象徴しているのかもしれないのです。
でも、星は三つつけた。つまり、機会があればまた手にしてもかまわないと思う、長い本でもないし。時には平和な気持ちにもなりたいし、歌と本が同じ印象を残す、というのは、やはり、独特の魅力的な個性の現われなのだろうと感じる。平積みになっていたのをふと拾って、買ってしまうような、ひきつける力はある。もっとも、本屋に入ると、財布の限り衝動買いをしてしまうという悪い癖と、日本に帰るたびに浦島太郎になった気がして「イマドキ平積みになっている本」が気になる、という事情はあるのだが。
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