[旅日記] 原点への回帰(2) Procedural Memory
記憶の心理学的研究では、procedural memoryとdeclarative memoryというdichotomyがひとつの軸をなしている。カラダに叩き込んで執行する記憶と、アタマで述べる記憶。必ずしもこの分類が生物学にかなったものであるかは明確ではないが、まあそう仮定して、話は作られている。
それはそうと、記憶とは恐ろしいものだ。地図を見ずにぶらぶらボストン港を北上していったのだが、だいたい思ったとおりのスポットを通過することができた。まあ、ボストンなんて実をいうととっても小さい町なんだ、ということもあるのかもしれないが、この町の記憶が脚にしみこんでいるのだと考えたい。
New England 1水族館。750,000リットルの巨大円柱形タンクが昔から有名で、周りを螺旋状のランプでぐるぐる回りながら、カリブの珊瑚礁を観察できる。この水族館、よくつれてこられた思い出の場所。水族館の手前の波止場からは観鯨遊覧船が出ており、これもお決まりのコース。
ぶらぶらNorth Endを歩く。昔は、イタリアマフィアがドンパチやっているような、危ないイメージしかなかったが、だいぶきれいになっている。ふと小さな橋にさしかかって下を見ると、Callahan隧道の入り口だ。その昔、ボストン湾の北外れにある空港に向かう道は、このトンネルしかなかった。よって、このトンネルは幼い僕の中で、日本帰国への窓口のような役割を果たしていた。国境の長いトンネルを越えると、ではないが、このトンネルの入り口は、exoticなガイコクにしてソコクたる、ジャパンへのportalだったのだ。トンネルのレリーフの天使は僕にとっては、海外旅行の女神だった。
米国革命の士、Paul Revereの暮らした家。あいかわらずみすぼらしい。Revereは銀職人であったが、ボストンの町の良さであるintelligentな庶民というのも、この時代の伝統からきているのだと思われる。革命の士は支配階級(イギリスより?)ではなく、庶民だったのだ。ボストンでは、blue collarも全般にまじめさと学識への畏敬を有しており、white collarもどことなく地に足がついている。みんなどことなく空色なのだ。ところでボストンのWASP支配階級の名家、いわゆるブラーミンの人も、小学校には何人かいたが、彼らとてどこか地に足のついたnoblesse obligeを漂わせる人たちだった。
ちょうど一時を回ったので、North Endのイタリアレストラン街で、ふらりと店に入った。アル・パチーノでも出てきそうなイタリアレストランで、鼻のでかいいかにもイタリア人の大家族たちが、土曜のランチをしている。そういえば、中国人はガイジンのことを大鼻子といったりする。
少し町の中心の方に向かうと有名な青空市場をやっていた。Quincy marketのあたりも、前回2年前にきたときは閑散としていて、景気悪そうだったが、今日はにぎわっていた。全般にボストンは好景気の印象である。
(つづく)
1. 最初にイギリス人がインディアンを追っ払って植民した、米東北部を、New Englandと称する。
1 件のコメント:
片が付いて晴れ晴れと生誕の地を歩まれる様子がわかります。
>multimodalあるいはcrossmodal
科学概念の社会思想化は嫌いですが、その逆は好きです。Holism も Lloyd Morgan が言えば具体性があるが、社会思想化されたものは亜流にすぎない。
Gawky さんのような実験屋さんが言えば納得できそうな気がする。脳科学は、分子レベルもいいが身体性も大事だから、やはりMDもやってください。(あれっ、余計なお世話+ピンボケ発言かな…。)
MWW
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