2007/07/21

[旅日記] 原点への回帰(1) Multimodal Integration

我[酷暑]を冒し、相隔てる[1000]余里を帰り到り、別れて[2年]となる故郷に去った。


太陽系の果てまで旅する彗星の軌道をみると、遠くまで飛びだしたかと思うとまた踝を返して母なる太陽に戻ってくる。遠日点が遠ければ遠いほど、そして素直な軌道を退けて曲率が高ければ高いほど、いずれその惑星は太陽の近くまで戻って来なければならない。人間も又然り。生地から遠く離れれば離れる程、大陸を渡り歩いて得体の知れぬ文化性に生きていればいる程、ルーツへの依存性は高まり、人生の転機では漸近して原点を確認しなくてはならない 1

そういう訳で、 博論のdefenseも終了してドイツ生活を本格的に開始するまでの束の間に、学会で滞在している父を訪ねる、という名目で、2泊3日、生れ育った故郷Bostonを訪れることになった。




ちょっと、脳科学の話。<動物の視覚・聴覚・触覚・嗅覚などそれぞれが単独で引き起こす現象>については、<脳細胞ひとつひとつの発火パターンを追う、という旧来の脳科学の主力パラダイム>での探求はだいたいネタが尽きている。だから、multimodalあるいはcrossmodal、というキーワードが徐々に人気を盛り上げている。単独の感覚刺激がどのように統合され、一体となった有機的認知を引き起こすか、というテーマである 2

人間の感覚がひどくいい加減なことは、19世紀以来の心理学のよく記述するところである。心理学の中でもpsychophysics、つまり精神物理学と呼ばれる分野を中心に、<いかに人間の感覚は相対的なものか>、<いかに人間が錯覚に弱いか>、あるいは<聞いたものが見たものを変え、見たものが味わいを変え、味わいがにおいを変えるか>などといったことについてはいろいろと知られている。Multimodal感覚研究は、この感覚同士の相乗効果を、脳の生物学的な機能と相関させようという試みなのだ。




Bostonに到着して飛行場からバスで町の方に移動中、無性に下車して歩きたくなった。というのも、かつてはsouthie 3への入り口で荒廃していたあたりが、すっかり綺麗になっているのだ。適当な停留所で降りて、足の赴くままにぶらぶら3時間ほど、港のあたりを北上して散策した。

綺麗にはなってはいるのだが、やっぱりBoston港の雰囲気は健在だ。表面的にはBaltimoreや、あるいは横浜のみなとみらいのように、高級ホテルなどが並んでいかにもwaterfrontという、今やすっかり使い古されて陳腐になってしまった言葉が、そぐわしい。でも、Baltimoreなどとは異なり、Boston港には有機的な何かが、息づいている気がしてならない。

ひとつには臭い。ただの海臭さだけではない。どことなく鼻の粘膜を突き抜けるような、きつい海臭さ。だが、臭いだけではない。ちょっとした波止場の屋台や煉瓦の建物が残っており、船の汽笛、市内遊覧観光バスのベル、そうした過去の断片がmultimodalに組み合わさって、記憶の中でBoston港らしさという総体をなしている。

子供の頃連れて行かれたBoston港のChildren's Museum。表のfaçadeはすっかり綺麗になっているのだが、建物は20余年前のままだ。

(つづく)





1. 地球のように等距離で無難な軌道の人生では、その緊要性は低まると思われる。

2. 運良く、新たな脳科学のパラダイムを築くに当たってもこのテーマは好都合と考えられるので、僕もこのキーワードに部分的に便乗している。

3. 南Bostonの貧困住宅地域

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