[旅日記] 欧行2007 (2) 弾痕の残るBerlin旧市街
荷物をコインロッカーに預け、ベルリンのTegel空港まで迎えにきてくれた友人とともにBerlinの中心を散策。
Brandenburg門から旧東ブロックの方に伸びる街道、Unter den Linden(菩提樹の木陰)。これは古き良き時代は、Champs d’Ellysesや銀座通りに類するところであったらしい。しばらく歩くと、Humboldt大学、Staatsoper(国立歌劇)、そして教会と博物館などが立ち並ぶ一角に。砂岩のローマ風neoclassical建築でそびえ立つ建物はどれも、至る所に弾痕が。大戦のものだという。市街戦の激戦区であったらしい。
アメリカは歴史的建造物があまりない上に、本土が戦場と化したことはない1から、こんな触感を覚えることはない。日本の原爆ドームなども凄惨だが、焼死した市民はもっぱら被害者と捉えるのが自然であり、これもちょっと感覚が違う。ベルリン旧市街のローマ柱に虫食いのように空いている弾痕。これに指を充てていると、無意識のうちに、<飛び交う銃弾から身を隠し、柱の裏に逃げ込む自分>を想像せずにはいられない。こういう街に住んだら、世の中に対するoutlookも変わるのではないか。
一方でこの街、どことなく軍国主義的な尊大さも、感じずにはいられない。たくさんの記念碑も、何となく軍国主義的であると感じた。こういうところ、アメリカはよっぽどましだ。というのも、自由の女神は敵の屍を踏みつけてはいないし、首都ワシントンの記念碑もほとんどは澄まし顔で立っているだけである。一番軍国主義的なのは硫黄島記念碑かもしれないが、あれだって要は、旗を押し立てているだけだ。<アメリカはイメージをsanitizeしているだけだ>とも考えられるが、人間は意外とそういう象徴主義的なものによって考えを支配されやすいのもまた、事実ではないか。
統一ドイツの議会前広場。毛主席が見下ろす天安門広場と、同様の威圧感だ。
1. Neoconどもは9/11をさして、異論を唱えるであろう
1 件のコメント:
Unter den Lindenというのを、菩提樹下、と最初訳したのだが、何となく黴臭い日本語だと思ったら、そう、黴臭い本で読んだ訳語だったのだ。記憶とは不思議なもので。
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余は模糊(もこ)たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽(たちま)ちこの欧羅巴(ヨオロツパ)の新大都の中央に立てり。何等(なんら)の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。菩提樹下と訳するときは、幽静なる境(さかひ)なるべく思はるれど、この大道髪(かみ)の如きウンテル、デン、リンデンに来て両辺なる石だゝみの人道を行く隊々(くみぐみ)の士女を見よ。(鷗外、舞姫)
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