2006/12/31

[雑記] 年越しそば

昨日アジアスーパーに行き、蕎麦を購入することができた。 来年の大晦日は、どこで何をしているのだろうか。今年の冬はいろいろと気の重い冬であるが、まだ老け込む年ではない、来年は嬉々として新しい未知に挑みたいものだ。

もしもそれができないのなら、学者稼業など諦めて、精神的にも金銭的にも安定した職に転じるべきだろう。以前どこかで読んだ言葉(↓)を思い起こす... 付箋に書きとめて研究室の机の前に張ってあったが、今や、この自己に対するプロパガンダ攻勢も、ボリューム増を必要としているのかもしれない。あるいは。

勉強する人間の美しさとは、集団のなかにあって孤立を恐れない人間の輝きである...

勉強により人間は成長する。成長する生命は美しい。この意味での成長とか、美というものは各人の実年齢とはほとんど関係がない。成長をやめたとき、その不安と失意を糊塗するために、ひとは権威を、自分を抱きとめてくれる安楽イスを欲しがるようになる。そのとき彼はほんとうに老いるのだ。(Link)

ゴミから拾ってきた部屋の隅の小さなステレオからは、Messaiahでもなく第9でもなく、久しぶりのブラームズ4番が、さながら糸電話をとおしたかのように、申し訳なさそうに流れている。

ブラームズはいくら重く苦しく孤独ても、どこかでは至福へと昇華する。いや、ambivalenceを内包しながらも無理矢理に昇華させている、つまり、雲上の至福を信じて止まない、というほうが正確か。その強引な一途さに昔から魅かれてならない。あるいは、恐ろしく単純な性格がブラームズに投射されてこう聞こえるだけなのだろうか。

いずれにせよ、皆さんどうぞよいお年をお迎えください。僕も、堅忍不抜に意を決して、良い年を迎えます。

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