2009/02/22

[映画] Kirschblüten - Hanami

Kirschblüten - Hanami
Doris Dörrie, 2008

最近産婦人科で5:00過ぎに家を出て、18:00過ぎに帰る日々が続いている。しかも一日中駆け回っているので、あまり睡眠時間も削れないほどに疲れる。それだけならまあよいのだが、帰ったら帰ったで課題やら自習などが忙しい、ほとんど息をつく暇もないし、研究の方はほとんど活動停止状態になっている。その上、当直の日は、帰らない。

思うに、こういうときこそ努めて泳いだりカルチュアにいそしまないと、人生がすり減ってしまう。

だから、今日は当直あけ(ほとんど寝当直)の休日、町中の外国映画・independent映画専門の映画館に出かけた。(この映画館、上映演目が充実しているし、往年の名作も再上映しているので、本当だったら足繁く通いたいところではある。)



ワシントン・ゲューテ協会の会報で案内が以前から来ていたのだが、このKirschblüten - Hanami。桜花-花見。しかも、主人公の一人はgeishaでこそないが舞踏家を目指す若い女の子だし、ちゃんとfujiyamaも重要なleitmotifを為している。あまりに戯画のようなテーマ設定だものだから、まあ、ドイツ人がどういう目で日本を見ているのだろうか、という向学のためだけの、冗談半分のつもりで見に行ったのではあった。

ところが、思いの外、感動してしまった。



一つには、ホームシックも混じっているのだろう。というのも舞台はドイツの田舎とベルリン、富士裾野の相模台地と東京中央線沿い。かって知ったる愛する二つの祖国、ということにしておく。大久保・北新宿界隈、井の頭公園、代々木公園、木々の一つ一つ一つまでもが旧知であるかのような錯覚を覚えてしまった。あと、ベルリンにしても東京にしても、ホームの場面から駅名がだいたいすぐに浮かぶ。何より、それぞれの土地の香りが豊かに漂ってきて、きっととっても上手な監督さんなのだろうという気がする。

まあそれもそうと、とにかく、映画のテンポがよい。走るのではない、じっくり一歩ずつ、腰を据えて、淡々と踏みしめてゆく。ドイツ現代文化のどこが一番愛おしいかというと、このテンポ感なのである。建築にしても、文学にしても、音楽にしても、美術・デザインにしても、研究にしても、社会構造にしても、ドイツ現代の良さは、このテンポ感に帰着することができるのではないか。それを反映してか、主題曲も、淡々としたピアノのアルベジオ・分散和音の上に、真剣なチェロの音が浮雲のようにさりげなく軽く乗っかった、実に現代のドイツ・ポスト・ポスト・モダンを象徴するようなモチーフである。

そして、恐ろしいほど深い、死と愛のロマン。やっぱり、ワーグナーやらシューマンみたいなのよりは、ベートーベンやブラームズの方がよっぽどロマンチックだと、僕は感じる。少々ストイックな枠組みの中でこそ、その枠組みから感情があふれ出すことができるのだ。



いかにドイツと日本が愛おしいか、そして自分の孤独を深く噛みしめながら、縷々感涙のひとときであった。

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