2007/07/29

[ドイツより] ポスドク様

教えている院生の勉蔵(仮名)が今日手術をしていて突然、「ヘルプ!」。手順を間違えたのだが、うまく復帰させてくれないか、と。今日は日曜だしずっとのんきにお茶を飲みながら読み物やら機械の修理やらをしていたのだが、心構えができていないところに急に手術はつらい。しかも人のやりかけた手術に乗り込むのもさらにしんどい。そしてお猿さんとかならまだよいのだが、ラットちゃんは、小さいのなんの。手がひとつ滑ったら、お・し・ま・い。

ドクターとしてはじめて実験屋の腕を試されるとなると、やっぱり、若干緊張してしまった。でも、ゆっくり深呼吸をして、ちゃんと直してあげることができた。「ああ、よかったよかった」... というのを顔に出さないようにするも、比較的単純な人間なので、一目瞭然であったと思われる。まあ、自分でいうのも何だが、手術の腕は悪くない。

しかし、勉蔵にはこの手術、ちょっと無理かなぁ。彼コーヒー中毒だし 1



「指導する側・される側」でいうとバッチリ前者なのだなぁ... 何よりそれをひしひしと感じる。迂闊に「知らない・できない」をいってはいけないのだろう。しかも、「指導する側」の一番若手だから、「久しく実験していないし」とかいうピンぼけないいわけも効かない。

「俺はポスドク、Dr.と呼びたまえ」なんて柄にも合わないような態度はできないが、でも、肝心のところでは頼りがいがある[かの]ように振舞わねばならない。内心心細くても。ただし、ねぶた人形をやりすぎると、見破られた時が怖いから、そこら辺もきっとバランスなんだ。



そういえば、研究室の院生たちと話していると、もう一人のポスドクの町安(仮名)はどうも頼りない、と評判が悪い様子だ。彼はいい人で、聞くと何でも教えてくれるし、比較的よく勉強している様子なのに。彼についている院生達はちょっとあまり結果も芳しくないようなので、フラストレーションがたまっている、というのもあるのだろう。

たしかにサイエンスなんて、孤独な戦いだし、別に幼稚園じゃないんだから、ポスドクや教授に頼ってもねぇ、というところがないわけではない 2。でも、やっぱり心強い指導者は、いればいいものだ。だから精々、僕が「知らない・できない」ことでも、その当人が「分かった・できた」に向けて歩むべき方向くらいは、まともに指し示せるとよいな、そして旅仲間くらいにはなれば、と思う。逆にそれじゃないと、人心は離れるのだろう。

ドイツでの短い一年足らずだが、芝居の本場アメリカから来た、究極的客商売の見習(i.e.医学生)として、一旗揚げようじゃないか、とも思う。まわりで働いている人たちの気分は、自分にも響いてくるし、彼らが論文出せば、僕も載るんだから。



でもアメリカに帰ったら、せっかく上ったtotem poleをまた急降下することになる。





1. 誰しも、ある程度以上コーヒーを飲むと、わずかに手が震える。本態性振戦というやつ。疲れているとひどくなる。顕微鏡下で行う、込み入った小動物の手術では、これ、致命的。

2. といって、ポスドクも教授も結構平気で無視する大学院生であった。僕は。

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