[旅日記] 欧行2007 (16) ホームステーC: 科学少年
東独時代の団地は日本の2LDKよりも狭いくらいだが、裏手のベランダからは、山々の絶景が。友人はこの野山を駆けめぐって、石やら虫やらを捕まえて育ったという。世界を流浪しながら育った都会人としては、こういう地に足のついた生き方が羨ましい。
ここは北緯50度近く、日も恐ろしく長い。22時をまわってやっと星が見えるくらいに日が沈んだが、それでも地平線は赤い。日が沈みかけたころから、月とともに金星が明るく輝く、なるほどこれは古代から特別視されてきたわけだ。
友人がなにやらごぞごそと望遠鏡を取り出す。月のクレーターが鮮明で、指を伸ばせば触れそうだ。23時近くなって、やっと天の川の星が見えてきた。望遠鏡をいじっていた友人が、「ちょっとみてご覧」と。のぞいた先には土星の輪がくっきりと。これも、くしゃみをしたら吹き飛んでしまいそうだ。のぞいているとどんどん動いてゆく。そう、僕らの地球は恐ろしい速度で回転しているのだった。
かつては科学者への王道であった科学少年。まあぼくも一応、形式上の最低限はやった。でもハンダごてにしても生き物の飼育にしても顕微鏡遊びにしても飽きが速く、むしろ、1200ビットのモデムで友人と電話交信したり、パソコンのプログラムを書くなどといった、ヴァーチュアル科学少年であったような気がする。もしかしたら研究が家業であり、土日なども実験する両親を傍らに研究室で遊び回って育ったから、子供の科学遊びなどを見くびっていた部分があったのかもしれない。
科学少年が絶滅危機腫であるとすれば、これは自然科学の発展にとっては、忌むべき事態である。
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